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加藤 一二三さん(将棋棋士)

 将棋棋士・加藤一二三さん。今をときめく藤井聡太二冠と並び称される早熟の天才でもあった。早くからトップを走り、挫折を経て見出したキリストへの歩み。コロナ禍で大事なのは、病魔への穏やかな心の準備とそのときが来たら愛を持って去ること……、キリスト教の象徴的精神「復活」を目に浮かべ、賢人は穏やかに十代を語った。

福岡のご出身ですね

 福岡の稲築町——、県中央部に位置する炭鉱の街で生まれて。今はもう市町村合併で嘉麻市になり、緩やかな過疎に身をまかせているけど、その当時は、筑豊炭田主力鉱の景気の良い煙がそこかしこに渦を巻いていて、地方から行き交う労働者で通りは活気に満ちていました。

少年期の思い出は

 小学校に上がったとき、教室に入ると、壁に沿ってクラシック音楽の偉人の肖像画がかかっていた。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ハイドン……、歴代の天才たちは、一様に厳かな光に包まれ佇んでいる。それは子ども心にも何となく強い印象を与えてね。それでなんとなく見とれることがあったんだけど、そのうちふいに、きっと大きくなって彼らの音楽に触れる機会があるに違いないという思いが沸き上がった。と同時に、彼らの作る作品に通底する宗教にも意識が向いた。そして、それがなんとなくキリスト教を指しているのにも、うっすら気付いた。そんな思いを胸に改めて絵を見上げると、だんだん居並ぶ偉人がひとつながりのものに見えてきたんです。宗教、伝統に裏打ちされ、脈々と音楽は、この世界は繋がっている……。このときの体験が後の人生にも影響を与えるわけですが、まだ終戦直後の大変な時期によくぞ教室にそういうものを置いてくれていたと思います。それは今でも感謝ですね。

当時、スポーツなどは

 小学校低学年の頃は結構な野球少年で、よく友達と示し合わせ、まだ開く前の校庭に入り込んで汗を流しました。お気に入りのポジションはファーストで、これは当時、全盛期だった読売巨人軍の川上哲治さんに憧れてのことだった。そんな時代だったから周りも野球少年で一杯で、いつも校庭は白球を追う子どもたちの姿で賑わっていました。

将棋との出会いは

 まだ小学校に上がる前、近所の子たちと将棋を指していたんです。年かさの子たちが指すのを傍らから眺め、見よう見まねで打つわけだけど、それでも大概は勝っていた。幼い日のたわいもない遊びにも、いくつか分かったことがあって、まず、将棋には、算数の公式のように、方程式とでもいうべき勝利の公式があるということ。それに気づき、当時から既に5つばかりのテクニックを持っていた。でも、そのせいで勝ってばかりになり、つまらなくなっちゃって、一度は将棋をやめちゃうんです。

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