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加藤 一二三さん(将棋棋士)

快進撃がはじまりますが、学校との両立に苦労は

 14のとき四段になったんだけど、これは当時の新記録で、その後も5、6、7とノンストップで駆け上がった。一方で学校生活はどうだったかと言えば、私はいわゆる文系でね。一般に棋士といえば理系という人が多いけど、私はどちらかというと国語や歴史の方が好きだった。理科とか算数は比較的苦手な方で……、だから勉強はしたけど好き嫌いはありました。ただ、有難いことにそんな私を暖かく包み込んでくれる雰囲気が学校にはあってね。というのも、私が通ったのは普通の公立で、卒業と同時に就職する生徒が沢山いたんです。そんなことから、就職指導の先生たちが企業を周って歩くんだけど、そうすると「あの将棋の子が通う学校でしょ」ってウケが良かったらしいんです。それを先生に感謝されるようなこともあって、それは結構嬉しい話でしたね。

早稲田大学に進学されます

 昭和33年、18歳で八段になった。18で八段と言えば、まさに空前絶後で、今後この記録を抜くのは難しいと言われています。その理由として、18で八段になるには、最速の14で四段になり、そこから毎年一段必ず上がらねばならないからです。これが至難で、まず前提の14歳で四段というのが相当厳しい。それがどれだけ難しいかは、かの藤井聡太さんも一度は歩度を落としたのを見れば分かるでしょう。私が早稲田大学に入ったのはそんなときだった。大学に行ったのは、当時お世話になっていた将棋の先輩方に口を極めて薦められたからです。「加藤さんね、大学に行ってちょっと視野の広い人生観を身に着けた方がいい……」とこういうわけですね。後に早稲田大学は一芸一能主義というのを取り入れるわけだけど、そのハシリのような形での入学だったと思います。会ったことはなかったけども同学年には水泳のオリンピック選手に選ばれた子もいたし、芸能のエリートもいたりしてね。

大学の恩恵はどんなふうに

 大学に入って良かったのは、当時は、とかく将棋の秀才は学校に行かないと思われがちだったので、それに楔を打てたことですね。今もテレビなどで「大学まで行ったよ」と言うと驚かれるんだけども、別に将棋ってそういう人ばかりでもないよ、ということです。もちろん学校に行けば何でもいいというんじゃないんだけど、棋士に偏見を持たれないのも大事と思うので、そういう意味でも良かったと思います。もう最近は、大学はおろか大学院まで行く棋士もいますし、あるいは藤井聡太さんのように、軌道に乗り切ってしまえば行かないのも手です。よりケースバイケースになっていますね。

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