半崎 美子さん(シンガーソングライター)
半崎美子さんは歌手である。ファン、聞き手の言葉、感情を丁寧に汲み取り、そこに手のひらを合わせるように紡いだ楽曲は、聞くものの心を大きく震わせる。「私の歌手人生は、私の歌を必要とする人のために歌い続けること」17年のインディーズを経てメジャーデビューを果たした透明な鬼才の十代を訊ねた。
小さいころの思い出は
印象に残るのは、一生懸命に働く両親の姿です。私は3姉妹の末っ子で、昼と夜を掛け持ちで働く母と、仕事に奔走する父の背中をよく見送っては、時にはひとりで留守番をしました。そんな限られた時間のなかでも二人はとても愛情深く私たちに接してくれていたと思います。ピアノやそろばんなどの習いごとも、なるべく沢山経験できるようにと用意してくれる。でも飽きっぽい私はいつも途中で投げ出してしまって……、いま思い返すと申し訳なかったなって。
そのころの遊びの中心は
住まいは北海道の札幌市内でしたから、いわゆる地方の大都市――。そういう意味ではわりとなんでもあるところでしたが、やっぱり遊びといえばアウトドアでしたね。北の大地の新鮮な空気を目一杯吸い込んで元気いっぱいに駆け回る。あとは人前に出ることが好きだったので、演劇をやっていました。これも結局すぐにやめてしまいましたけどね。でも飽き性なんだけど好奇心はすごく旺盛で、とにかく次から次へと手を伸ばすんです。いつもなにか新しいことを探している子でしたね。
そのころの夢は
物心のつく前、幼稚園のころには「ピアノの先生になりたい」と周りに言っていたと聞きました。そのあとも幼い夢は点々として、小学校時代にはミニバスケ、中学で演劇をはじめると今度は「お芝居をやりたい」と思ったり……。そのころの夢はそれこそ浮き草のように次々と流れていった。本当に夢に一途に、自分がブレなくなったのは歌に出会ってからですね。
歌との出会いは高校で
そうですね。もちろんそれまでも歌うのは好きで、両親の留守を見計らってはテーブルの上をステージに見立て、歌ったりはしていたんです。でも、迎えた高校の学園祭、はじめて大勢の前で壇上から自分の歌を披露するという経験をして。家やカラオケで家族や友人を相手にするのとは全く違うその感触に、なにか手応えのようなものを感じたんですね。