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川口 マーン恵美さん(作家)

日芸音楽科ピアノ科卒業後、ドイツの国立音楽大学大学院に進まれます

 そのころは、一日8時間とか、当たり前のように練習していました。音楽は、いまでも専門のひとつで、もちろん好きですが、どちらかといえば、書く方が向いていたのかもしれません。でも、若い時は無駄や失敗に思えることも、歩みを重ねるうちに、すべて肥やしになっている、繫がっている、と今は思います。

本を書いたきっかけは

 ドイツで大学に通っていたころ、主人と知り合ったんです。彼は建築関係の人間で、イラクのバクダッド近郊に住んでいました。大学を卒業した私は、すぐ彼のもとへ飛び、その後の1年半から2年あまりを過ごしました。そこでの暮らしがすごく衝撃的だった。当時のイラクは戦争のまっただ中でした。そのころ、日本とドイツ、ヨーロッパを知る私は、その中間地点のアラブ地域を、文化や生活の上でも、その中庸のようなイメージで想像していたんです。それが、実際に過ごしてみると、東洋と西洋の方が、まだ感覚的に近いものを共有している。それで、アラブってすごく異質だな、と感じたんです。でも、そうして、初めは感じた強いカルチャーショックも、月日と日常の中に薄れていく……。そう思ったときに、このまま10年も過ごせば完全に忘れてしまう、それくらいなら書き残しておこう、そうして書きはじめたのが最初で。

「書く」ことの印象は

 最初は、それこそ、頭の中にあるものを、ワーっと掃き出すように、2週間ぐらいでいっきに書き上げた。それで、そのときに、なぜか前書きから書き始めたんです。なにか、あたかもそれが本になるかのように。それを日本に帰り、いくつかの出版社に持ち込んだ。でも、そのころはイラクのサダム・フセイン大統領はあまり有名じゃなくて。隣国・イランのルーホッラー・ホメイニーにスポットライトが当たっていた。「面白いけれど、これは商売にはならない」、それが出版社の回答でした。そうして原稿はいったんは埋没し、その間に子どもも生まれ、しばらくは忘却の彼方でしたが、1990年、イラク、クウェート侵攻に、にわかに脚光を浴び、一気に、出版、と、なったんです。

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