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朱野 帰子さん(作家)

小説に戻るきっかけは

 会社員の生活がすごくきつかったと思うんですよ。「無駄は省け」「即役に立て」という圧力と、いつ首を切られるかわからない不安感。折しも正社員と派遣社員がまっぷたつに分かれはじめた時期で、「非正規雇用になったらどうしよう」と思うと背筋が凍る。つねに恐怖に駆られているような感覚で、仕事が楽しいとはとても思えなかった。そんな時代のなかで、たぶん精神が無意識に均衡を保つために始めたのが文章を書くことだった。ある日、急に文章が書きたくなり、友達に向けたブログや日記を始めた。そこからまた少しづつ小説のほうに戻っていきました。なので「小説家になりたい」と戻ったんじゃなくて、「書かないと死んじゃう」という感じで戻ってきたんだと思います。

小説家デビューの経緯は

 小説を書くうちに、締切がないと終わらないな、というのが分かってきた。それで小説の学校というか合評会をやるようなところに行くことにして。そこに行くために書く、という目標を設定したわけです。学生の幾人かは本当に小説家を目指していて、「今度どこどこの賞に応募する――」というような話を聞くうちに、やっぱりこれも締切を設けるという意味で、賞に応募してみよう、と思うようになって。そうして応募したのがうまくひっかかった。ちょうどそのころ、会社員をしながら小説を書けたら、というのを夢見るようになっていて、定時で帰れる会社を探し始めていたんです。だからすごく決意して小説家になったといより流れついた感じですね。

仕事小説に込める意図は

 まさか自分が会社の話とか、そんな世知辛いものを書くことになるなんて思いもよらなかったですけど(笑い)。でも結局それがわたしの原点、原風景になっているので。それに9年も会社員をやると、小説を読んでても会社の描写が気になって仕方がないんですよ。サラリーマン時代に、納得して読める小説を相当書店で探したりもしたんだけど、なかなか出会えなかった。そういう気持ちが根底にあって。どうしてもそこを埋めたいと思っちゃうんですよね。

『わたし、定時で帰ります』について聞かせてください

 わたしはエゴサーチしないので、自分の読者層に詳しくないんですが、会社員ものを書くと友人から「読んだよ」と感想をもらうことが多いんです。今回はテーマがテーマだけにいろんな反響がありました。なかには「コレ普通の話だよね」という人もいた。でもわたしが会社員時代に自分の境遇に近い本を求めたように、「ああ、コレあるある」っていう共感を求めて小説を読む人って多いと思うんです。今度8月に出る本は専業主婦が主役で家事労働の話なんですが、これもまたそんなふうに多くの方の腑に落ちれば、楽しんでもらえたらと思っています。

あけの かえるこ 1979年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。2009年「マタタビ潔子の猫魂」で第4回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞しデビュー。2012年発表の『海に降る』は後にテレビドラマ化される(WOWOW、2015年)。今年3月発表の『わたし、定時に帰ります。』は新時代を告げるお仕事小説として話題に。他の作品に『駅物語』(2013)、『賢者の石、売ります』(2016)など。最新作『対岸の家事』を8月に発表。

(撮影:編集部)

(月刊MORGENarchives2018)

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