梅沢 富美男さん(俳優)
舞台人としての心が決まったのはいつ
19のときです。いつまでも舞台にいてはうだつが上がらないと思ってね。松竹大船撮影所で映画のオーディションがあるというのを人づてに聞いて、じゃあちょっと受けてみようと願書を持参した。100人くらいはいましたかね……、並んでいると、なにやら助監督みたいな人が来て一人ずつハネていく。僕のところにも来て、顔をみるや「いらない」というから、思わず「いらねぇことはないだろう」と言い返した。「オーディションなんだからちゃんと演技をして、それでダメなら帰るけど、願書持って立ってるだけで何がいらねぇんだ」と文句を言うと、「目がちっちゃいからいらねえんだ」とピシャリ。それを聞いて、あ、オレは映画俳優にはなれねぇんだ、テレビもダメだ――、と思ってね。それで舞台で生きようと決めました。だから後にも先にもオーディションを受けたのはこの一回きりです。
役者を辞めようと思ったことは
25ぐらいのとき、一度、舞台人を辞めようかと迷ったことがあったんです。だって、映画を見たってテレビをつけたって、なんでアイツらはオレより下手クソなのにスターなんだろうってずっと思ってましたから。やっぱり組織力の違いなんだろうな。うだつが上がらねぇならいっそこんな仕事やめよう……、って。元々、役者になるつもりもなかったですからね。そんなとき、たまたま懇意にしていた漫画家の石ノ森章太郎先生のところに遊びに行く機会があったんです。「あ、先生にだけは言っておこうかな……」そんなふうに役者を辞めようかと思っていることを切り出すと、先生は、「どうして?」と聞くんです。
でもそんなこと一から説明するのメンドくさいじゃないですか。ひとこと、「壁ですかね」と返すと、いきなり「なに生意気なこと言ってんだ。お前みたいな無名な役者に壁があるか」とこう言うんですよ。さすがに一瞬ムッとして「どうしてですか」と言い返すと、「壁ってのはな、売れた人が作るんだよ。オレが『仮面ライダー』描いて大ヒットしたろ? その後にどんな漫画を描いても『仮面ライダー』と言われたら壁だよ。売れた役者が、「何やったって同じ芝居しかしねぇな」と言われたらそれが壁なんだよ。それをお前は売れてもいないうちから何を言ってるんだ。壁は、お客さんとお前が作るんだよ。お前は売れるから頑張ってやれ」そう言ってくれたんです。あのとき、役者として目が覚めました。
「下町の玉三郎」誕生秘話は
あるとき石ノ森先生が僕に『矢切の渡し』を踊って欲しいとテープを持ってきたんです。「はい、分かりました」と受け取って、兄貴に、「先生が見に行くから『矢切の渡し』を踊って欲しいと言われたんですけど」と告げると、「お前、これ無理だよ相舞踊だから」と困った顔をする。「私を連れて逃げてよ」という女と、「ついておいでよ」という男が二人で逃げる、それが『矢切の渡し』 なんだ。そうすると、イメージで言ったら『与話情浮名横櫛』のお富、与三郎かな。オレは与三郎しかできねぇから、お前お富やれ、そう言われてね。「いや、オレ女形なんてやったことないっすよ。どうやってやったらいいんですか」と焦ると、「お前、女好きなんだから女みりゃいいだろう」って言う(笑)。