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真山 仁さん(作家)

小説家を目指したのは

 高校に入ってからです。公立受験に失敗して、進学した私立高校でひと息ついたころ、そろそろ頑張ってみようかなと。周りにはよく政治家を奨められてたんですけどね。そう言われるたび、仮に政治家になれても、国を変えるには総理大臣にならなきゃいけない。でもそれには議員の大半を味方に付ける政治力、資金力が必要だ。そんなの財閥の御曹司でもなけりゃムリだよ。だから政治家にはならないと答えました。心のなかにはずっと、身分家柄のない自分がどうすれば言いたい事を言い、表現することができるのか、あの小学校6年の学級会のように……そんな想いが揺蕩っていました。

 10歳頃から16歳まで追い求めた青い鳥を視界に捉えたのは、小説『白い巨塔』を読んだとき。命を直接救うのではないけれど、医療の現場の問題をこんな風に世の中に提起することができるんだと気付かされて。人の役に立とうと医者を目指し、挫折したけれどこういうアプローチもあるんだなと。高校時代も探偵小説を読んでいましたが、少しずつ陰謀小説や社会派小説も読み始めていました。そうするうち社会を見るのにすごい小説って役に立つな、と思い始めたんです。今でも若い人に本を読め、と奨めるんですが、たとえばイギリス人とアメリカ人の考え方の違いなど、もしかしたら本を読むほうが短期留学するよりもよく分かる。それは小説家がそれぞれの国、地域の気質を出し、いろんなものが作品の中に抽出されているから。もしかしたら日本にいても世界中のことがわかるし、海外の文化も仕組みも分かる……。これが一人でやれたら社会に対して意見を言うことができるんじゃないのかなと。

同志社大学に進学します

 高校で小説家に狙いを定めると、今度は人生計画をプランニングし始めました。自分の好きな小説、社会の表裏を様々に伝える作家たちのプロフィールを調べていくと、新聞記者が多いんですよ、そこから作家になっていくことが多い、なんでだろうなと。そうして考えたすえ、ひとつはやっぱり取材力、もうひとつは分かりやすい文章力だろうと結論づけた。社会に起きていることを淀みなく端的に伝える力はエンターテインメントとして国際情勢を伝えるのに、凝った文章よりも適しているのだろうと。あとは人脈――これを作るのも記者の仕事なんだろうと想像した。それで高校2年になる頃には既に、10年新聞記者をやって修行して、3つの力をものにして作家デビューしようと決めていて。だから大学も新聞社に沢山就職するところしか受けなかったんですよ。東京、大阪といくつか受けて最終的に同志社に進んだんですね。

新聞社では2年半を

 大学を卒業し、就職という時期に母が病に伏せてそのまま亡くなって。長男として看病しながら就職活動を続けましたが、うまくいかず、新聞社への就職を諦めかけたころ、中部読売新聞に季節外れの募集があって。土地勘もないところでしたが迷わず入社しました。記者は思っていた通り楽しくて。もう一度就職するなら迷わず記者をやりますね。ただ仕事を続けるほど、会社にとって良い記者であることと、自分が大切にしてきた社会問題を提起する心根がどうしても相容れるものではないと痛感した。もう少しやっていたかったんですが、辞め時を感じて。それで退職し、1年ほど就職情報誌でバイトをしたあとフリーライターになりました。小説家になるのはその後ですから、大学卒業から13年後のことですね。

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