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真藤 順丈さん(小説家)

漫画の次は映画だった、と

 高校ぐらいの頃からポツポツと映画を見始めた。そこからグングンと映画の世界に引き込まれていった。だから漫画家の次に夢見たのは映画監督です。同じ頃、小説にも興味を持ち始め、そんなこともあって、大学は文学部を選んだ。大学時代は映画と小説漬けの毎日だった。

『日本語日本文学科』を選ばれた理由は

 やっぱり数学や英語に比べると、国語が一番の得意科目だったし、とりわけ文学を読んでいるときが一番しっくりとくる。それならいっそ、国語の教師になろうと考えたんです。それで教職を取れる学部に進んだ。ところが、それを早々に辞めてしまって(笑い)。

高校時代もかなり文学を

 それが、高校ぐらいまでは、そんなに熱心に文学をしていた記憶がなくて。もちろん、まったく読んでいなかったわけではないんですけどね。本格的に系統立てて読むようになったのは、大学に入ってからですね。日本文学科で課題図書に取り組むうち、感銘を受ける出会いが増えていった。そこから、更に、作家ごとに読む、という風に読書が広がっていったんです。そのとき読んだのが、『阿部公房』『三島由紀夫』……、といった作品群だった。

映画との関りはどんな風に

 その頃はもう日常的に映画を撮っていて。文学が副菜なら主食は映画でしたね。当然、目指すは「映画監督」で。

映画づくりは大変では

 ストーリーを作るのはもちろんのこと、機材を集め、キャストも揃える。自分のアウトプットだけではない、様々の要素が監督には必要ですからね。チームで動くので、一人でやるのとは種類の違う大変さもある。でも、今振り返ると、あれが僕の青春時代でしたね。

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