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真藤 順丈さん(小説家)

小説家を志すのはいつごろ

 映画監督を目指していたころ、文学部にいたこともあって、小説の習作をいくつか書いていた。それをゼミの先生に見せたところ、なかなかの評判だったんです。それが成功体験としてずっと残っていた。後は、映画を作るとき脚本を書くわけですが、僕はどちらかというと、セリフを書くよりト書きを書く方が得意だったんです。ト書きを書いていると、筆が走ってバーっと膨らんでいっちゃう。で、それって要するに小説なんですよ。これはもしかすると、小説の方が、なんの制約もなしに自分のやりたいことを存分にやれるんじゃないか、と思った。映画活動が頭打ちになる中で、ちょっと本腰を入れて小説一本で勝負してみよう、と。それで映画をキッパリと辞め、小説家デビューの前段階、賞レース目指してひたすら書き続ける「投稿時代」に入ったんです。

チーム戦から個人戦に。孤独感など苦労は

 今までとは一転、小説づくりは一人の勝負です。当然、自分自身だけとのやり取りになってきますからね。でも、何の制約、しがらみもなしに、目の前のことに没頭できるというのは、逆に嬉しかったというか。自分には向いていたと思いますね。

暗中模索に将来への不安は

 まだ無かったですね。ちょうど20代半ばに差し掛かる頃でしたが、何か無根拠の自信に満ちていて。でも、この根拠なき自信はデビュー後に大きく崩れることになります。その頃、既に結婚していたので、しばらくは妻の恩恵に預かりながら、小説家を続けることになるのですが……。

ご両親の反応は

 作家にはなれたものの、鳴かず飛ばずの日が続いた。両親は、内心すごく「大丈夫かコイツ」と心配していたと思います。それでも、僕が要所要所で、新人賞を獲ったり、複数の賞を受賞するなどあったので。「お前は小説家に全然向いていない。もう辞めろ」というようなことにはならなかったですね。

親族一同期待があった、と

 妻とは作家になる前からの付き合いで。映画を一緒に撮っていた仲間だったんです。つまり、妻からすれば、一回自分の見込んだ男が、小説家でプロデビューする、という成功体験があったわけですよ(笑い)。そんなこともあって、見限らないで貰えたのかなって。

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