• 十代の地図帳
  • 各界の著名人の十代の道程にその道に入る心構えやヒントを見る

青木 さやかさん(お笑いタレント)

時代は就職氷河期、苦労は

 それまでは、高校行くのが当たり前、大学行くのが当たり前、就職するのが当たり前……、と思ってきたのが、就職試験で初めて挫折してしまって。それこそアナウンサーから一般的な仕事まで全部落ちて、果ては、就活生が口を揃えて「あそこだけは絶対行くな」というブラック企業にまで蹴られてしまって。そのときに二人ぐらいの社長から「君は絶対に取らない」とまで言われたんです。それを聞いて、もしかして自分には一般的な企業でみんなと協力してやっていく才能がないのかなと思い詰めて。ビックリしたし、ショックでしたね。

テレビの世界にはどうして

 テレビ業界に直結するアナウンサーの専門学校があったんです。そこに1年通うと所属してタレントになれるという触れ込みで、藁にもすがる思いでそこに入った。正直、それでどうにかなるとも思ってなかったけど、それでもある程度は仕事をもらえて。キャラクターショウの司会とか、船内MCで太平洋フェリーにも乗ったりして——。あとは選挙のウグイス嬢、ウグイス嬢は本当に得意でした。

当時の将来の展望は

 本当に何もかもがどうでもよくて、最終的には結婚すればいいや、と思っていました。元々、付き合っていた彼が上京するのについてきただけだし、自分が売れるとかそんなの全然興味なくて。それなのにその彼が出て行ってしまったんです。原因は、主に私のパチンコ癖で、それに愛想をつかした彼はある日とうとういなくなってしまった。私は愛知県出身なのですが、パチンコ文化があって、とても楽しいんですよね。東京に来てからも、タレントの仕事は大して増えなかったし、暇つぶしに再開したらズブズブと底なし沼にハマっていった。なにしろパチンコ屋は一日中やってるわけで暇つぶしには最適な上に、仕事の不安からの現実逃避も相まって、もうずーっとやっていました。そうこうするうち、彼はいなくなり、あとには借金だけが残って……、これはもう生きるには売れるしかない、って。

ご両親は心配されたのでは

 そうですね、その頃はもうろくに連絡も取り合ってなかったので、心配も何もなかっただろうけど、定期的な私の無心には答えて、お金を出してくれました。そういう意味では、自分で稼ぐようになって改めて思うけど、やっぱりお金って中々出せるものじゃないし、なんだかんだ愛してくれていたんだなァ……、と。あと、自分が母になってみて思うのは、娘にあんな生活されたら堪えるだろうな、ということですね。

関連記事一覧