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半崎 美子さん(シンガーソングライター)

当時憧れた歌手は

 それが意外と思い当たらないんですよ。もちろん、テレビで歌番組を見たり、CDを聞いたりはしていたし、「ああこんなふうにテレビに出て歌ってみたいな」という漠然とした思いはある。でも性格的にあんまりひとりの人や歌に熱中する感じじゃなくて……。ただ、「自分の歌が自分より長生きしてほしい」というのはずっと思っていた。だから「私の歌が教科書に載る」というのが昔からの夢なんです。

歌への執着のルーツは

 それはおそらく、学生時代に聞いていた『カーペンターズ』が根っこにあるんじゃないかと思います。姉から借りたそのCDに『ドリームズ・カム・トゥルー』、『渡辺美里』をエンドレスで流すのが、そのころの私のルーティンだった。なかでも『カーペンターズ』は日本での人気が再燃中で、私も友人たちと一緒に夢中になって聞いていました。自分を虜にしたその歌い手が、実はずっと前に亡くなっていると知ったのは、それからしばらくしてからのことでした。「音楽ってこうして遺っていくんだ――」アーティストの作る楽曲は、国境、世代なにもかもを軽々と飛び越えて、北海道の片田舎の中学生の耳と心に足跡を残してゆく。そう気付いたときに、もし自分自身がこの世からいなくなっても、曲のなかでずっと生き続けられる、と強く感じたんですね。

大学に進学されます

 高校の学園祭での余韻を胸の奥に残しつつも、そのときにはまだ私の心に「歌手になろう」という選択肢はなかった。だから歌とはまったく関係のない経営学部を撰んだんです。ところがいざ入ってみると、上京して歌手になりたい、という気持ちがみるみる首をもたげてきて。

ご両親の反応は

 父はとにかく猛反対で、どんなに私が涙ながらに懇願しても、決して首をたてにふることはなくて。それで仕方なく最終的には強硬突破というか……、手持ちのお金もなかったので、東京に住み込みのアルバイトを見つけると、家出同然、逃げるように北海道を発ちました。住み込み先はごく普通のパン屋さんでしたが、北海道から書類を送り、合格をもらったときには、まるで歌のオーディションに受かったような、もうそれ以上の喜びで、これで人生の一歩を踏み出せる、と、意気揚々、花の都・東京の街に乗り込みました。

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