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春風亭 一之輔さん(落語家)

落語との出会いは

 小学校には「部活動の時間」というのがあって、毎週、水曜日の6時限目があてられ、5、6年生は必ずどれかには入らなくちゃいけない。そのなかのひとつに「落語クラブ」というのがあったんです。それを、参加人数が少ない、という理由で撰んだ。ただそのころのことはあまり覚えていないんです。『寿限無』や『弥次郎』といった話を無理矢理憶えさせられ、とにかく人前で吐き出す。それを小学校一杯やって、いったん落語との付き合いはそれっきりになった。

中高で打ち込んだのは

 中学ではバスケットボール部に入りました。でもこれも、なんとなくというか……。いつもそうなんですが、それほど一生懸命という感じじゃないんです。どちらかと言えば、そのころ熱心だったのは、ラジオの方だった。

落語との再会は

 高校にあがり、すぐラグビー部に入ったんですが、それを1年でやめてしまった。二年になりゴールデンウィークがはじまると、いよいよやることもなく、ひとり浅草をブラブラ歩いた。高校は春日部でしたから浅草は電車で一本です。そうして、本当に何の気もなく寄席にぶらりと入った。チケット代は1300円。映画より安いし、見たこともないから入ってみよう……。後になってプログラムを確認するとトリを務めたのは春風亭柳昇師匠――そのほかにも大勢の師匠方が出演していましたが、そのとき何より印象的だったのは、寄席の雰囲気。同世代皆無の異世界に、自分だけのものを見つけた、と興奮しきりでした。

落語研究会が始動します

 高校に空き部屋があって、そこはもともと落語研究会の部室だった。でもそれは20年も前の話で、いまは誰も使っていない、というんです。それで、じゃあ僕やります、とはじめた。部室を開けると、戸棚には落語の本や辞典、テープがそのままになっている。それを見て、よし、やってみるかなと、小学校以来の気持ちが沸々と湧いた。

当時好きだった落語家は

 高校のとき好きだったのは立川談志師匠だとか……。でもチケットなんか高くてなかなか買えない。そこで、お小遣いを2、3ヶ月分貯めては、ひとり東京の寄席を目指す、というようなことをしていました。

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