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春風亭 一之輔さん(落語家)

日芸放送学科に進みます

 そのころはとにかくラジオが好きで、ラジオ制作とか、放送作家を目指していた。それで、それならここがいいだろう、と撰んだ。落語はまだ趣味の域を出ていなかった。

大学でも落語研究会に

 でもだからといって、落語家になりたい、とは思わなかったですね。というか、大学4年間を通して、何かになりたい、と強く思ったことがなかった。執着心がないせいか、あまり勉強もしなかったので、ラジオ制作の方でも軽い挫折をしていました。だから大学生活は部活一色でしたね。ほかの文化部の先輩とお酒を飲んだり、そういうことばかりしていた。でもそうすると世界が広がるんですよ。映画、本、芝居……ひとりでは出会わなかったことを沢山知りましたね。

卒業の時期がきます

 芸術系大学の特殊性なのか、それとも僕のまわりだけなのか、就職活動をしている人はほとんど見かけませんでした。当然、僕自身もそういうことは一切考えていなくて、バイトとかでどうにかは生きていけるだろう……なんて思っていた(笑い)。でも実際、テレビの制作現場とかカメラマンとか、みんなバイトから入ってそのまま、というのが多かったんですよ。僕もテレビ局のADをしたりしましたが、それになりたいとかは全然なかった。

落語家にはいつごろ

 卒業後ようやく、自分は何をしたいのか真剣に考え始めた。自分に出来ること、やりたいことといったら……、落語か。そうだな落語で生きていけるならいいな。ああ、落語家になりたいな――となった。

目指す落語家像は

 どういう人になりたい、こういう落語をしたいというよりは、寄席に出たい、と思っていましたね。ふらっと歩みこんでみんなでゲラゲラ笑って……そういう空間ってあんまりないじゃないですか。そのどこか緩い感じが好きでね。結局僕は、朝から寄席でボンヤリぶらぶら見ているのが一番好きなんですよ。寄席に四六時中出て、15分だけ喋ってパッと帰っちゃう、そんなのがいいな、と純粋に思った。

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