梅沢 富美男さん(俳優)
で、始まったんですが、初めて化粧したときはそりゃあ驚きましたよ。変わるもんだなぁってね。先生にはきっとそういうところが見えてたんでしょうね。テレビ、雑誌は「下町の玉三郎」と騒ぎ立てるし、どんどん売れ出した。最終的には『寂しいのはお前だけじゃない』というTBSのドラマにスカウトされてね。そうなるともう今度は目に映るものすべてがそれまでとは違って見えてくる。ああ、売れるってのはこういうことか、と思いましたね。
舞台で一番嬉しかった思い出は
舞台で飯が食えるようになったときですね。初めて心から「やってて良かったな……」としみじみ思って。それと小さい頃から母親が口癖のように言っていた「いつかはトンちゃん明治座に上がってね」という言葉。「役者として一番の檜舞台は明治座なの。関東は明治座、関西は歌舞伎座、名古屋は御園座……、この舞台に上がるのが役者の冥利よ――」。その言葉通り、母親を明治座の舞台に上げることができた。舞台の上で、母は嬉しそうに踊っていました。そのとき初めて母が僕に、「あんたを生んで良かったわ」と言ってくれた。嬉しかったですね。最高の誉め言葉だな、と思いました。役者やってて良かった、とそこでまた思いました。
コロナ禍では大変な苦労を
どんなに売れてもいまだに差別をされるんだなというのを思い知らされましたね。国は、ちゃんとした伝統芸能の団体には助成しても、僕ら大衆演芸にはしてくれませんから。つまり認めてないんですよね。能や歌舞伎は国技だけど、ただの演劇はどうでもよくてそんなのは無くなってもいいと思ってる。だけど、そこに対する反骨心が、今の僕の一つのモチベーションになっている。また頑張ろうと思いましたもん。よーし、コロナが明けて来年の正月、東京で一番、客入れて見せる。歌舞伎座よりは入れて見せる――、本気でそう思ってる。
俳句がとてもお上手ですがコツなどは
僕が俳句にパッと馴染めたのは、お芝居の下地があったのが大きいです。ウチの親父の時代、お芝居の台詞はまだ7・5調だったんですよ。浪曲と一緒で、「何が・何して・なんとやら……」といった具合にリズムだったんです。で、その芝居の台詞の中に、こういうのがあった。
〈山に険阻の・坂あらば・忍耐力の・杖をつき・海に怒涛の・波立たば・堪忍という・舵をとれ〉
――7・5調ですよね。他にもこういうのもある。
〈如何な堅固な・要塞も・内から破るる・栗のイガ〉
どういう意味かと言うと、青々とした栗が一杯になっていますよね、ところが取ろうにも棘が邪魔して取れないわけです。でも、ほっときなさいよ。時期が来たら自然に割れて落ちるから――。どんなに立派なお城を立てても家庭内が悪いと終わっちゃうよ、こういう教えなんですね。
そういう言葉の調べを上手に見つけて、そこに季語を入れれば俳句になるんだ、と。そこから入った。