• 十代の地図帳
  • 各界の著名人の十代の道程にその道に入る心構えやヒントを見る

鎌滝 えりさん(女優)

不登校に後悔は

 もちろん、学校に行かなかったのが全面的に良かったかと言えばそうじゃない。学ぶべきときに学ばなかったという思いはやっぱりあります。でもそれは、今お芝居をしていて、ふいに突き上げる学びの欲求となって生きてもいる……。ただ一つ、はっきりしているのは、あのとき母に、「無理にでも学校に行きなさい」と背中を突き飛ばされなかったのだけは、絶対にそれで良かったんだと思います。

不登校の間、家ではどんな過ごし方を

 その頃はもう、お芝居や映像の世界に強く惹かれていたんです。雑誌を切り抜いては、メイクやヘアー、スタイリングを、その切り抜きに想像したり、そうかと思えば詩や文を書いてみたり……。当時は、表舞台に立つのではなく、裏方になるのを夢見ていて、そんなことに時間を忘れて没頭していました。特別、この作品に影響されて、というようなきっかけがあったわけでもなくて、ごく自然にその世界の雰囲気に浸っていった感じですね。

その頃、役者の夢は

 それは全然なかったです。思い描くのは、ヘアメイクさんになりたいな—、とかそんなイメージで……。誰かをサポートする、あるいは、何かモノづくりをしてみたいな……、そんなことばかり考えていました。

中学も継続して不登校に

 そうですね。でも、その頃になると、フリースクールに通うようになって。そこは地域の運営する学校で、そこで隣り合う介護施設のおじいさん、おばあさんとよく話をしていました。ときには手話を教えてもらったり……、楽しかったし、救われる気持ちでした。

女優活動のきっかけは

 15のとき、さすがにこのままだと一生外に出れなくなるんじゃないか、と家族が心配をはじめた。そんなとき、一足早く芸能活動を始めていた姉が、「ちょっと撮影があるから顔出しにおいでよ」と誘ってくれたんです。ヘアメイクになりたくて、その世界にも惹かれている私を慮ってくれている……、そんな姉の気持ちを汲む気分で、なんとか沼に沈む心を持ち上げて出かけた。でも、それが実は、姉の真っ赤な嘘で。現場に入ると、すでに私も姉の事務所に所属することになっていて、撮影の準備までしていたんです。「ヤだヤだ人前なんか出たくない!」当然のように大暴れする私を、姉は軽くあしらって、「ハイ、じゃあ宣材写真とりまアす」。いつの間にか私は、カメラマンにレンズを向けられていました。そこから、どんどん話が進んでいって……。なんか突拍子もない話ですが、もしそれがなかったら、今も家から出られないでいたかもしれません。

関連記事一覧