• 十代の地図帳
  • 各界の著名人の十代の道程にその道に入る心構えやヒントを見る

阿部 華也子さん(お天気キャスター)


大学進学の起爆剤は

 周りも大学に行く人が多かったので、自然の成り行きで……。両親も、「大学には行きなさい」という考えだったし、「東京に出てみたら」とも言う。なので、受験はするものだ、とは思っていましたね。

受験勉強の思い出は

 そうですね、頑張りました(笑)。長時間集中するのが苦手なので、2、3カ月ぐらいにギュっと詰め込んでやろうと決めて(笑)。横着ですよね(笑)。でも、そのときばかりは、人生で一番ぐらい勉強しました。

早稲田大学第一文学部に進学されます

 難易度を考えると、付け焼刃の勉強で受けるには高いんじゃないか、と思われるかもしれませんが、実は私、妙に前向きなところがあって、身の程知らずっていうか(笑)。不遜にも、2、3カ月頑張ればイケそうって思っていました。それに何より、両親にやれば出来るってところを見せたかったんです。それまで勉強しなさすぎたのも申し訳なかったですし……。

娘の変化にご両親は

 勉強を始めても、二人に特に変化はありませんでした。よく子どもが勉強をしていると、夜食を運んでくれたりというのを聞きますけど、ウチでは一切なかったですね。階下ではいつものようにテレビの音がして、そのうち、「じゃ先に寝るね」の声。静まり返った部屋でひとり勉強をしていました。両親からしたら、なるようになる、ぐらいの気持ちで、あまり期待もしてなかったかもしれませんね(笑)。そういう意味では少し寂しい受験期でした。

親元を離れ、初めてのひとり暮らし。不安は

 もうスゴく不安でした。それまで両親に甘えっぱなしだったので、料理も掃除も不慣れだし、アルバイトの経験もなかったので。しっちゃかめっちゃかでしたが、とにかく生きてはいました(笑)。

関連記事一覧