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飯沼 誠司さん(プロ・ライフセーバー)

 あとは――何事も楽しんでやらないと伸びないな、というのは気付かされました。大学に入ってからライフセーバーが楽しくて、競泳時代の20キロには及びませんが、海とかで気持ちよく泳いでいたんですけども、入部から1年で、高校三年間あれだけ苦しんで1秒だったのが、いきなり5秒ぐらい伸びちゃったんです。体格も10キロぐらい、バーンとでかくなって、精神的にもそれまでとは凄く変わって活き活きして。乾ききったスポンジが一気に水を吸収するようなイメージですね。いま考えると高校時代の苦しみも無駄じゃなかったんだと。

ライフセービングとの出会いはどんな風に

 もともとはトライアスロンでいこうかなと思っていたんですよ。だけど高校でどん底にいたころ、父母が別れを決めて。家は経済的に難しい状況だったんですね。――でもやっぱり大学には行きたい、いずれは親に家を買ってあげたいと。それで就職を見据え、アルバイトで学費を稼ぎながら大学に通おうと決めて。でもトライアスロンはお金がかかるんですよ。競技用自転車ひとつ買うにも100万円はする。一回は入部したんですけど、ちょっとムリだなと。そんな時に友人から「ライフセービング」っていうスポーツあるよ、と聞いた。

 説明会では、オーストラリアの大自然を舞台に、屈強なライフセーバーたちがレスキューする姿がスクリーン狭しと躍動、レベルをあげるために行うプロ選手のレースも上映されました。高校水泳で打ちのめされ、身も心もモヤシのような気分だった僕の目には、たくましいライフセーバーたちの姿が、何か自分の弱さを克服する救世主のように映り、気付くとすっかり憧れの眼差しを向けていたんですね。始めるとすぐ、心身ともに成長を実感しました。水泳をはじめやってきた事すべてがライフセービングに有効に作用しはじめると、ますます熱中して――それ以外の事は考えられないくらい、いきなりハマっちゃいましたね。

世界の舞台にはいつごろ

 大学3年生で選抜選手に選ばれ、大学4年で世界大会――初めての国際大会を経験しました。そこで世界と日本のレベル差を肌で感じて……。自分に、日本に足りないものっていうのは沢山あるんだなと。たとえば今でも――22、3年前に僕がライフセービングを始めて以来、日本の水難事故の数ってそんなに変わってないんですね。水難救助システムの整備は、水に囲まれた国として取り組むべき大事なテーマだと思うんです。だからライフセービングの存在を知ってもらう事も活動としては大事なのかなと。大学を卒業してから一旦は就職したんですけども、やっぱりメディアとかに出ながらきっちり普及活動もしていかなきゃいけないなと思い立ち、スポンサーをつけてプロ活動しながら、というかたちをとりました。今はプロ活動はしていないんですが、ライフセービング協会と契約し日本代表監督として後進を育てながら、普及活動を続けています。

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