「清々しき人々」日本の生物境界を発見した商人 トーマス・ブラキストン

日本の生物境界ライン

 調査のために南極大陸に短期に滞在する探検隊員を例外として、人間は南極大陸以外の陸地にだけではなく、地球の多数の島々にも定住しています。しかし、人間以外の生物は渡鳥など一部の例外はあるものの、大半は自身の生存能力に適合した場所に棲息し、越境することはありません。その越境することのない境界はこれまで数多く発見され、発見した人物の名前を尊敬して○○ラインと名付けられてきました。

 世界で最初に名付けられたラインはウォレス・ラインで、一九世紀に世界各地で生物を研究してきたイギリスの生物学者アルフレッド・ウォレスがインドネシアに帰属する島々により形成されるスンダ諸島とオーストラリア大陸との中間にある海峡に、そのような生物分布の境界があることを発見し、ウォレス・ラインと名付けられています(図1)。それ以外にも世界には多数の○◯ラインがありますが、日本にも存在します。

図1 ウォレス・ライン(1868)

 日本は島国ですから多数の海峡がありますが、生物の移動を阻止するほどの幅広い海峡はなさそうです。しかし樺太と北海道間の八田ライン、朝鮮半島と対馬の中間の対馬ライン、屋久島や種子島と九州との中間の三宅ラインなど何本かが存在します(図2)。大半は調査して提唱した日本の学者の名前になっていますが、一本だけ外国の人名のラインがあります。ブラキストン・ラインですが、このブラキストンを紹介します。

図2 生物境界ライン

貿易会社の箱館代表となる

 八田ラインを提唱した八田三郎は動物学者、三宅ラインの名前の根拠となっている三宅恒方は昆虫学者ですから、生物の分布の境界を発見したのは納得できますが、ブラキストン・ラインの名前の根拠となっているトーマス・ブラキストンは異色の経歴の人物です。一八三二年にイギリスの南部のリミントンという地方都市の貴族の家庭に誕生し、成長して王立陸軍士官学校を卒業して軍人になったという人物です。

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