「清々しき人々」物語を実在の歴史に転換した H・シュリーマン
さらなる遺跡の発掘に挑戦
前述のように、シュリーマンは古代ギリシャの歴史について博士の学位を取得して豊富な知識がありましたが、発掘調査など実務の経験はなく、かつトロイア戦争が架空の物語ではなく実在したという証拠の発見を最大の目的としていたため、遺跡の途中の階層を乱雑に発掘して損傷していますし、最初は第七層がトロイア戦争の時代の遺跡ではないと判断していたために一部を破壊してしまい、後世の研究に支障をもたらしましたという問題がありました。
さらに出土した財宝は遺跡の存在するオスマン帝国に無断でギリシャに搬送されたため、オスマン帝国は発掘の権利を剥奪してしまいます。しかし発掘継続のためシュリーマンは発掘した財宝の一部を返還するとともに、代金を支払って発掘を継続しました。シュリーマンが確保した財宝は一八八一年にドイツへ搬送されベルリン国立博物館で展示されていましたが、一九四五年にソビエトが自国に運搬し、現在、モスクワのプーシキン美術館に展示されています。
さらにシュリーマンはトロイア戦争でギリシャ軍団の大将であったアガメムノンの墳墓を発見するため、ペロポネソス半島北部のミケーネ遺跡を発掘し、二頭の獅子の彫刻で装飾された城門や巨大な円形墳墓を発見します(図5)。ここからは多数の黄金製品が発掘され、ホメロスが「黄金の豊富なミケーネ」と表現していることを裏付けています。しかし、この遺跡はトロイア戦争より数百年前の存在と推定され、アガメムノンとは関係ないことが判明しています。
一八八四年からはミケーネ文明の盛期の遺跡であるティリンス遺跡を発掘し、壮大な宮殿の存在を明確にしました。さらに古代ギリシャの遺跡の発掘を構想していましたが、一八九〇年に旅行途上のナポリで急死し、アテネの墓地に埋葬されました。現代の基準からは発掘方法や発掘した宝物の処理に問題があったものの、だれもが架空の物語と理解していたホメロスの物語が歴史の事実であったことを個人の資産で証明した偉大な人物でした。
つきお よしお 1942年名古屋生まれ。1965年東京大学部工学部卒業。工学博士。名古屋大学教授、東京大学教授などを経て東京大学名誉教授。2002─03年総務省総務審議官。これまでコンピュータ・グラフィックス、人工知能、仮想現実、メディア政策などを研究。全国各地でカヌーとクロスカントリーをしながら、知床半島塾、羊蹄山麓塾、釧路湿原塾、白馬仰山塾、宮川清流塾、瀬戸内海塾などを主催し、地域の有志とともに環境保護や地域計画に取り組む。主要著書に『日本 百年の転換戦略』(講談社)、『縮小文明の展望』(東京大学出版会)、『地球共生』(講談社)、『地球の救い方』、『水の話』(遊行社)、『100年先を読む』(モラロジー研究所)、『先住民族の叡智』(遊行社)、『誰も言わなかった!本当は怖いビッグデータとサイバー戦争のカラクリ』(アスコム)、『日本が世界地図から消滅しないための戦略』(致知出版社)、『幸福実感社会への転進』(モラロジー研究所)、『転換日本 地域創成の展望』(東京大学出版会)、最新刊「AIに使われる人 AIを使いこなす人」(モラロジー道徳教育財団)など。モルゲンWEBの連載「清々しき人々」とパーセー誌の連載「凜々たる人生 ─ 志を貫いた先人の姿 ─」からの再編集版として、『清々しき人々』、『凛凛たる人生』、『爽快なる人生』(遊行社)など。
(モルゲンWEB2024)