「清々しき人々」アメリカの放送産業を開拓した デイヴィッド・サーノフ

 この目覚ましく発展していく分野には当然、競争相手が登場します。CBS(コロンビア・ブロードキャスティング・システム)です。一九二七年に創設された放送会社UIB(ユナイテッド・インデペンデント・ブロードキャスターズ)を購入したW・S・ペイリーが名称をCBSに変更したラジオ放送会社で、全米各地の放送会社を次々と買収して全米にネットワークを形成してNBCに対抗する放送会社になります。

 それに対抗するため、サーノフはNBCの放送内容を文化番組や教養番組を中心とすることにし、本人は特別に音楽に関心があったわけではありませんが、フィラデルフィア管弦楽団やボストン交響楽団の演奏を放送して人気を獲得しました。そこでさらに、一九三七年にイタリアの名指揮者アルトゥーロ・トスカニーニを首席指揮者とするNBC交響楽団を組織してスポンサーの支援なしの自主音楽番組を放送します(図2)。

図2 トスカニーニの指揮するNBC交響楽団

 この番組は聴衆から支持されただけではなく、放送された音楽番組をレコードにして発売して会社の経営にも貢献することになりましたが、さらなる効果がありました。一九三〇年代にアメリカが経済恐慌に見舞われた時期に、第三二代ローズベルト大統領はラジオ放送会社を規制しようとしますが、NBCの「トスカニーニ・アワー」が国民に愛好されていることを考慮し、規制をしなかったとされています。

テレビジョン放送に進出

 音声の放送が社会に定着すると、今度は映像の放送が目標になりますが、この分野でもサーノフは先行します。まず手掛けたのが映画でした。一九二八年に映画関連の二社を傘下にRKOピクチャーズという映画会社を創設、最初はF・アステアとG・ロジャースが主演するミュージカル映画で有名になりますが、アメリカ映画史上の傑作とされる『キングコング』(一九三三)(図3)や『市民ケーン』(一九四一)を制作して成功します。

図3 キングコングのポスター(1933)

関連記事一覧