「清々しき人々」アメリカの放送産業を開拓した デイヴィッド・サーノフ

 このような映像制作の能力を基礎に、それを映画劇場ではなく放送で全国に配信するためにサーノフはテレビジョンの開発に全力投球します。しかし先行したのはアメリカではありませんでした。画像を遠方に伝送する技術の開発は一九世紀後半に要素技術が開発され、二〇世紀前半になってロシアのB・ロージング、日本の高柳健次郎(図4)、イギリスのJ・L・ベアードなどが画像を電送することに成功しています。

図4 高柳健次郎のテレビジョン実験装置(1926)

 そして一九二九年には英国放送協会(BBC)とドイツの国家放送協会(RRG)が実験放送に成功、一九三六年にベルリンで開催されたオリンピック大会ではテレビジョンで競技の中継が実現しました。アメリカは出遅れましたが、サーノフの努力でNBCが一九三九年に番組の定時放送を開始し、その功績によってサーノフは全米放送事業者協会(NAB)から「アメリカのテレビジョン放送の父」として表彰されています。

 現在のデジタル方式以前のアナログ方式のテレビジョン放送は世界に三方式(NTSC/PAL/SECAM)ありますが、アメリカでは先行したCBSが独自の方式で一九五一年からカラー放送を開始し、NBCは出遅れて一九五四年からNTSC方式で放送を開始しました。サーノフの尽力でアメリカはNTSC方式に統一されましたが、現在ではデジタル時代に移行してATSC方式が統一規格になっています。

 サーノフは七五歳になった一九六五年に事業を息子のロバートに譲渡して引退しますが、電気通信の新規技術が次々と登場した二〇世紀に通信業界と放送業界を牽引した偉大な人物でした。サーノフの時代は一人から一人への情報伝達(通信)と一人から多数へ情報伝達(放送)は別物でしたが、インターネットの出現により、この境界は曖昧になりました。サーノフが生存していれば大胆な情報社会を実現したかもしれません。

つきお よしお 1942年名古屋生まれ。1965年東京大学部工学部卒業。工学博士。名古屋大学教授、東京大学教授などを経て東京大学名誉教授。2002─03年総務省総務審議官。これまでコンピュータ・グラフィックス、人工知能、仮想現実、メディア政策などを研究。全国各地でカヌーとクロスカントリーをしながら、知床半島塾、羊蹄山麓塾、釧路湿原塾、白馬仰山塾、宮川清流塾、瀬戸内海塾などを主催し、地域の有志とともに環境保護や地域計画に取り組む。主要著書に『日本 百年の転換戦略』(講談社)、『縮小文明の展望』(東京大学出版会)、『地球共生』(講談社)、『地球の救い方』、『水の話』(遊行社)、『100年先を読む』(モラロジー研究所)、『先住民族の叡智』(遊行社)、『誰も言わなかった!本当は怖いビッグデータとサイバー戦争のカラクリ』(アスコム)、『日本が世界地図から消滅しないための戦略』(致知出版社)、『幸福実感社会への転進』(モラロジー研究所)、『転換日本 地域創成の展望』(東京大学出版会)、最新刊「AIに使われる人 AIを使いこなす人」(モラロジー道徳教育財団)など。モルゲンWEBの連載「清々しき人々」とパーセー誌の連載「凜々たる人生 ─ 志を貫いた先人の姿 ─」からの再編集版として、『清々しき人々』、『凛凛たる人生』、『爽快なる人生』(遊行社)など。

(モルゲンWEB2024)

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