「清々しき人々」ポルトガルを世界に飛躍させた エンリケ航海王子

大国であったポルトガル

 イベリア半島の大西洋側にあるポルトガルの人口は約一〇〇〇万人で世界八八位、国内総生産は二五〇〇億ドルで四七位、国土面積は九万平方キロメートルで一一一位という目立たない国家です。しかし、五〇〇年前には世界を二分する大国でした。一四九四年にローマ教皇アレクサンデル六世の勅書により、新規に発見された土地は大西洋上の中央の子午線より東側はポルトガルの領土、西側はスペインの領土と決定されていたからです。

 その名残は南米大陸に存在します。現在、そこには一二の国家がありますが、国語は一一カ国がスペイン語で、ブラジルのみポルトガル語を使用しています。それはトルデシリャス条約と名付けられた上記の勅書が成立した直後の一五〇〇年にポルトガルの船団がブラジルを発見しますが、そこは世界を二分する子午線の東側に位置していたからです。さらにアフリカ大陸や東南アジアにも同様の理由でポルトガルの領土が点在していました。

 この世界帝国の出現に貢献した人々を記念するモニュメントがポルトガルの首都リスボンの川岸に建造されています。帆船を表現する高さ五二メートルの巨大な彫刻は「発見のモニュメント」と名付けられ、東側に一六名、西側に一五名の彫像が設置されています(図1)。それらはV・ダ・ガマ、B・ディアス、F・マゼランなどポルトガルを世界に飛躍させた人々ですが、その先頭に屹立しているのが、発展を指揮したエンリケ航海王子です。

図1 発見のモニュメント

武勇で活躍した王子 

 現在、ポルトガルとスペインが存在するイベリア半島は、かつてキリスト教国とイスラム教国の衝突の前線でした。七世紀初期にアラビア半島に登場したイスラム教徒はアフリカ北部を征服しながら西進、七一一年にジブラルタル海峡を横断してイベリア半島に上陸し、一時は半島全体を支配します。スペイン南部のグラナダにある世界遺産のアルハンブラ宮殿(図2)はイスラム様式の建物ですが、それは上記のような背景があるからです。

図2 アルハンブラ宮殿

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