「清々しき人々」ポルトガルを世界に飛躍させた エンリケ航海王子

 そこで八世紀初期からキリスト教国がイスラム教徒からイベリア半島を奪還する八〇〇年近い闘争が開始されますが、これはレコンキスタ(国土回復)と名付けられています。その経緯は省略しますが、今回の話題に関係するのが現在のポルトガルの位置に一三八五年に成立したポルトガル王国アヴィス王朝です。初代国王はジョアン一世で、その三男として一三九四年に誕生したのがエンリケ王子で、「発見のモニュメント」の先頭の人物です。

 エンリケは二一歳になった一四一四年、父親とともにジブラルタル海峡の対岸のアフリカにあるイスラム勢力の拠点セウタの攻撃に参加します。この戦闘での活躍はエンリケに騎士の称号と公爵の地位をもたらしますが、それ以上に偉大な歴史を開拓する運命を若者にもたらしました。西欧社会からは未踏であったアフリカ大陸の西岸を探検することや、さらに大陸の南端を周回してインドへ到達する航路を開拓する野望が芽生えたのです。

王子の村落を創設

 この野望を実現するため、遠征から帰国した一四一六年にポルトガルの国土の最南西端で大西洋に突出したサグレスという場所に「ヴィラ・デ・インファンテ(王子の村落)」という施設を建設しました。ここは一五八七年になって、有名な海軍提督F・ドレークの指揮するイギリス艦隊の襲撃によって完全に破壊されてしまったため、現在では詳細不明ですが、大型帆船の設計と建造、船乗りの訓練、地図の収集などをしていたとされています。

 大型帆船では三本マストの「カラベル」を開発しアフリカ沿岸の航海に利用しています。地図は資金を投入して収集しました。現在でも海図は外国の人間に販売しない国々もありますが、当時は国家機密でした。ドイツの作家S・ツヴァイクの小説『マゼラン』に、マゼランが世界一周を決意したのはポルトガル王室の秘密文庫秘蔵のドイツの地理学者M・ベハイムの世界地図を一瞥できたからという文章がありますが、当時の状況を象徴する挿話です。

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