「清々しき人々」ポルトガルを世界に飛躍させた エンリケ航海王子
マデイラ諸島の発見
紀元前五世紀の古代ギリシャの作家ヘロドトスに『歴史』という史書がありますが、そこに地中海域で活躍していたフェニキアという海洋民族の船団が紀元前七世紀に紅海から出発してアフリカ大陸の東岸を南下し、南端を回遊して西岸を北上してジブラルタル海峡を通過して三年かけてアフリカ大陸を一周したと記載されています。この真偽は長年検討されてきましたが、海流や風向などから判断して実話という見解が主流になっています。
当然、多数の文献を収集して研究していたエンリケもフェニキアの人々の航海は承知していましたが、当時の情報を収集するとアフリカ大陸の南部の土地は不毛であり、海洋は沸騰しているというような状況でした。しかし不屈の王子は挑戦を開始します。最初の契機はセウタ攻略に参戦したJ・G・ザルコとT・V・テシュイラという二人の若者がエンリケに面会し、本国は不況で生活も大変なので仕事を手伝わせてほしいと依頼してきたことです。
そこでエンリケは二隻の帆船でアフリカ西岸を南下する航海を命令しました。二隻は途中で強風のため漂流しますが、偶然にもマデイラ諸島の小島ポルト・サントに漂着しました(図3)。位置はアフリカ大陸から六〇〇キロメートルの西方でした。帰国してエンリケに報告すると、もう一隻の帆船を追加して入植するよう命令されます。ところがウサギを野放しにしたため、二年で丸裸の土地になってしまい仕方なく帰国しました。
しかし不屈のエンリケは付近に陸地を発見するように再度航海させます。その結果、一四二四年にポルト・サントの四七キロメートル南側に奄美大島に匹敵する面責七四一平方キロメートルのマデイラ本島が発見されました。エンリケは本格開発を決断して人々を入植させ、木材の輸出とともにサトウキビやブドウを栽培させます。二五年後には八〇〇人が生活し、砂糖やワインを生産するようになります。これが有名なマデイラワイン誕生の経緯です。