「清々しき人々」ポルトガルを世界に飛躍させた エンリケ航海王子

カナリア諸島の発見

 さらなる発見は本国から一〇〇〇キロメートル西方の大西洋上にあるアゾレス諸島です。エンリケの派遣したF・G・ヴェーリョの船団が一四三一年に発見し、四五年頃から入植が開始されます。九島からなり、合計面積は二三五五平方キロメートルで大西洋上の中央に位置するため中継基地として発展し、現在は二四万人が居住しています。二一世紀になって紀元前二世紀までアフリカ大陸北部にあったカルタゴの人々が到来していた遺跡が発見されています。

 さらにエンリケが目指したのがアフリカ大陸から一〇〇キロメートルの沖合にあるカナリア諸島でした(図4)。ここには一五世紀初頭からスペインのカスティーリャ王国が入植を開始していましたが、エンリケは一四二五年以降、三度も軍隊を派遣して奪取しようとしますが失敗し、四八年には群島の一島であるランサローテを金銭で購入しますが、結局はエンリケの死後の一四七九年に全体は正式にカスティーリャ王国の領土となって決着します。

図4 カナリア諸島

アフリカ大陸西端に到達

 そこで本来の目標であるアフリカ西岸の探検に回帰します。最初の目標はカナリア諸島の南側の北緯二六度にあるボハドル岬でした。地図では平坦な海岸のようですが、海中に岩礁が延々と伸長しており、岸伝いで航海していた時代には多数の帆船が難破している恐怖の海域でした。そこでエンリケは一四三三年に配下のG・エアネスに探検を命令しますが、エアネスは途中で帰還してしまいます。しかし、エンリケの命令で再度、挑戦し見事に岬越えに成功しました。

 ここでエンリケの冒険は一旦停止し、一四三七年にイスラム教徒が占領するアフリカ北部のタンジールに派兵しますが、フェルディナンド王子が捕虜になる失敗で、エンリケの戦闘指揮能力は不評となり、以後はアフリカ航路の開拓に集中します。その結果、四一年にはボハドル岬から七〇〇キロメートル南側のブランコ岬、四四年には、後年、アフリカ大陸南端に到達するB・ディアスの父親D・ディアスがアフリカ大陸の西端ヴェルデ岬(図5)に到達しました。

図5 アフリカ地図

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