「清々しき人々」人類史上最高の知能とされるジョン・フォン・ノイマン

プリンストン高等研究所の教授

 アメリカの東部にある人口三万人弱の都市プリンストンには一七四六年に創設され、アメリカで四番目に歴史のある有名なプリンストン大学が存在します(図1)。如何に素晴らしい大学であるかは、二〇一九年までにノーベル賞受賞者が六八名(物理学賞は二〇名)、数学の分野の最高の賞とされるフィールズ賞受賞者が一五名という数字が証明しています。世界の理系の大学の評価でも何度も首位になっている有名大学です。

図1 プリンストン大学

 そのプリンストンに、百貨店経営に成功したバンバーガー兄弟が資金を提供し、一九三〇年にプリンストン高等研究所が創設されました(図2)。ここは世界の最高水準の学者を招致することで有名で、これまでもA・アインシュタイン、H・ワイル、R・オッペンハイマー、湯川秀樹など著名な学者が招致されていますが、創設とともに教授として招致されたのがノイマンでした。いかに注目されていたかが理解できます。

図2 プリンストン高等研究所

 それを契機にノイマンはアメリカに移住しプリンストンを拠点にします。本来は数学理論が専門でしたが、ナチスとの戦争になれば応用数学が重要になると判断し、数値解析を研究するようになります。さらにアメリカ陸軍に志願しますが採用されませんでした。当時、ノイマンの恩師の一人である航空工学の大家T・フォン・カルマンが陸軍の研究施設の所長であり、ノイマンに純粋に研究してほしかったからとされています。

 その期待に対応した一例が「ゲーム理論」です。ノイマンとほぼ同年にドイツに誕生しウィーン大学の経済学部教授であったO・モルゲンシュテルンもナチスのオーストリア併合を機会に一九三八年からプリンストン大学の教授に就任していました。そこで二人は人間が意思決定する仕組みを数学理論で説明する共同研究をし、一九四四年に『ゲーム理論と経済行動』として発表します。これは現在も利用されている理論です。

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