「清々しき人々」日本の生物境界を発見した商人 トーマス・ブラキストン
しかし、鳥類の研究についても熱心であり、一八八〇(明治一三)年には、七一年にイギリスから来日して横浜の保険会社に勤務して昆虫と鳥類を研究していたヘンリー・プライヤーと二人で小笠原諸島に出掛けて鳥類の調査をし、さらに翌年には一人で南千島列島の鳥類を調査しています。それらの成果を『日本鳥類目録』とし、その内容を東京に滞在している外国の人々の組織であるアジア協会の例会で発表しています。
その重要な見解は鳥類の分布から津軽海峡が日本の動物の分布の境界になっているという発見です。さらに一八八三(明治一六)年に東京で開催されたアジア協会の例会で「日本列島と大陸との過去の接続の動物学的指摘」という講演をしています。この講演を聴講していた東京大学で地震学を教育していたジョン・ミルンは津軽海峡を「ブラキストン・ライン」という名称にすることを提案し、この名前が定着しました。
ブラキストンが日本で捕獲して標本にした鳥類は相当に多数で、一八七九(明治一二)年に函館に開拓使函館支庁仮博物館が開設されたとき、ブラキストンから寄贈された日本の鳥類の標本は一三一四羽と記録されています。それらは保管が十分ではなく紛失した標本もありますが、大半は現在、北海道大学農学部付属博物館に保管されています。北海道が開発される以前の自然を記録する貴重な資料になっています。
日本の鳥類研究の有名な施設は山階芳麿が一九三二年に東京都渋谷区(現在は千葉県我孫子市)に創設した山階鳥類研究所ですが、そこには約八万点の鳥類の標本が保存されていますから、ブラキストン が作成した一三〇〇羽余の標本はわずかですが、日本で最初の収集として価値があります。それを象徴するように日本では北海道内にしか棲息していないシマフクロウの学名は「ブボ・ブラキストーニ」と命名されています(図4)。