「清々しき人々」日本の近代医学を開拓した 北里柴三郎

 北里はドイツにおけると同様に日本でも研究に活躍し、帰国して二年後の一八九四年には香港でペストが流行した直後に自身で香港に出張してペスト菌を発見していますし、九七年には帝国大学医科大学を卒業して私立伝染病研究所に入所した志賀潔が赤痢菌を発見するなどの業績を発表しています。九九年には私立伝染病研究所が内務省の所管する国立伝染病研究所になり、場所も芝区白金台町に移転しました。

 これ以後は、研究ともに社会での活躍が増加していき、一九〇六年には日本連合医学会会頭、一三年には自身が創設した日本結核予防協会理事長などに就任しますが、一四年に国立伝染病研究所が文部省の所管になったことを契機に所長を辞任し、芝区白金三光町に私立北里研究所を創設(図5)して所長、一五年には恩賜財団済生会芝病院を創設して院長、一七年には慶應義塾大学に医学科を創設して医長に就任するなど活躍します。

図5 私立北里研究所(博物館明治村に移築)

 一九〇一年のノーベル生理学・医学賞を受賞できなかったことは日本国民としては残念なことでしたが、創設されたばかりのノーベル賞は最近のように世界の話題になる制度ではなく、北里にとってはそれほど残念なことではなかったようで、はるかに痛恨であったのは大変な支援をしてくれた福沢諭吉が同年二月に逝去したことであったと想像されます。いずれにしても明治時代の日本人魂を象徴する偉大な人物でした。

つきお よしお 1942年名古屋生まれ。1965年東京大学部工学部卒業。工学博士。名古屋大学教授、東京大学教授などを経て東京大学名誉教授。2002─03年総務省総務審議官。これまでコンピュータ・グラフィックス、人工知能、仮想現実、メディア政策などを研究。全国各地でカヌーとクロスカントリーをしながら、知床半島塾、羊蹄山麓塾、釧路湿原塾、白馬仰山塾、宮川清流塾、瀬戸内海塾などを主催し、地域の有志とともに環境保護や地域計画に取り組む。主要著書に『日本 百年の転換戦略』(講談社)、『縮小文明の展望』(東京大学出版会)、『地球共生』(講談社)、『地球の救い方』、『水の話』(遊行社)、『100年先を読む』(モラロジー研究所)、『先住民族の叡智』(遊行社)、『誰も言わなかった!本当は怖いビッグデータとサイバー戦争のカラクリ』(アスコム)、『日本が世界地図から消滅しないための戦略』(致知出版社)、『幸福実感社会への転進』(モラロジー研究所)、『転換日本 地域創成の展望』(東京大学出版会)、最新刊「AIに使われる人 AIを使いこなす人」(モラロジー道徳教育財団)など。モルゲンWEBの連載「清々しき人々」とパーセー誌の連載「凜々たる人生 ─ 志を貫いた先人の姿 ─」からの再編集版として、『清々しき人々』、『凛凛たる人生』、『爽快なる人生』(遊行社)など。

(モルゲンWEB2024)

関連記事一覧