「清々しき人々」物語を実在の歴史に転換した H・シュリーマン

 夜半になり木馬の内部に潜伏していた兵士が外部に進出して内側から城門を解放し、沖合の小島に待機していたギリシャ連合の兵士たちが上陸して飲酒で泥酔していたトロイアの兵士を殲滅します。トロイア国王プリアモスは神殿に逃避していましたがアキレスの息子ネオプトレモスに殺害され、トロイア王国は滅亡しました。このように紹介してくると、神々の世界と人間の世界が渾然一体となっており、ホメロスの『イリアス』は架空の物語のようです。

遺跡の発掘に成功

 しかしシュリーマンは現実の物語だと確信します。そこで日本を訪問した翌年の一八六六年にフランスのソルボンヌ大学とドイツのロストック大学で古代の歴史を研究して博士の学位を取得します。そして七〇年からアナトリア半島のエーゲ海側のピナルバシュという場所を発掘しますが成果はありませんでした。しかし同様にトロイア遺跡を探索していたイギリスのアマチュア考古学者F・カルヴァートの示唆でピサルルクという場所に目標を変更します。

 そこはカルヴァートが以前から細々と発掘していた場所ですが、資金不足で深部まで発掘されていませんでした。そこでシュリーマンは一八七〇年に正式の発掘許可を取得し、豊富な資金を投入して次々と下層へ発掘を展開していきます。上層は古代ローマ時代の遺跡で、下層になるほど過去に遡行し、九層の遺跡を確認しますが、その第八層には火災の痕跡があったので、それがトロイア戦争の火災で消滅したトロイアの都市遺跡だと推定します。

 そうするとトロイアという都市国家が存在したのは紀元前二六〇〇年から二二五〇年という時代になってしまい、間違いだったということが判明します。後程の研究によって紀元前一三〇〇年から一九九〇年の第七層から火災の痕跡や虐殺の証拠が発見され、トロイア戦争時代の遺跡であったと修正されます(図4)。トロイア戦争が実在し、ホメロスの著作が架空の物語ではなく史実であったことが明確になり、シュリーマンは一気に有名になります。

図4 トロイアの遺跡

関連記事一覧