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中西 哲夫さん(スポーツジャーナリスト)

プロサッカー選手になってから大変役に立ったと

 特に名古屋グランパス時代、現在は、イギリスのプレミアリーグ・アーセナルの監督であるアーセン・ベンゲル監督とコミュニケーションを取れたことは、得がたい経験でした。チームメートにも、ドラガン・ストイコビッチという偉大な選手(現在は監督業に従事)がいて、やはり英語を通じたコミュニケーションを直に取っていました。この時ばかりは、英語を話せて本当によかったな、と思いましたね。

アメリカでの暮らしでなにか精神面に影響は

 アメリカに住んでいたことで、自分の意見は、はっきりと伝える、そんな気質を持つようになったのだと思います。アメリカでは、自己主張しないと何も得るものはないんです。アメリカに住んだ時は、現地人学校に通いました。いつも和英辞書を持ち歩いて、分からない言葉があると、相手に辞書を見せては、言葉を覚えていたんです。その頃の体験が、誰かを頼っても何も問題は解決しない、自分で動かないと何も生まれないんだ、という哲学を与えてくれたんだと思います。自分からまず差し出さないと物事は始まらない、アメリカで学んだ信念ですね。

大学卒業後、念願のプロの道に進みます

 折りよく、卒業の翌年にJリーグが開幕し、晴れてJリーグ1期生になりました。それまでアンダーの日本代表に一度も呼ばれたことのなかった僕が、プロになれた一因に、Jリーグ開幕前年に当たる92年は、その準備として各チームが多少多めに選手を揃えたこと、そして、地元の名古屋出身だったことが考えられます。今のJリーグは、定員がとても少ないですから、そう考えると、プロになるにあたり、様々な幸運にも恵まれたと言えるかもしれないですね。

いざプロサッカー選手になるとなり迷いは

 大学2年生の時に父から手紙が来たんです。その少し前、実家に戻った時に、母に、将来は、商社かマスコミを考えている、と話をしたことがありましたが、どうも父は、その話を又聞きしたらしく、手紙の内容は専らその話題です。君が商社やマスコミへ、などと言うのを聞くと、何か妙に現実に引き戻される。今まで、沢山の投資をしてきたんだから、もっと夢を追ってもいいんじゃないか、父の考えを目にし、決意は固まりました。そこからは、もうプロ一本で目指していこう、固く誓いました。

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