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中西 哲夫さん(スポーツジャーナリスト)

スポーツジャーナリストという仕事を選ばれた訳は

 中学校の時、愛知の選抜チームのコーチに言われた「お前は二つ道があったら楽な道を選ぶから駄目なんだ」という言葉をいつも肝に銘じているんです。それからは、自分は敢えて茨の道を選ぼう、と進んできました。サッカー解説者でも良かったんですが、いや、やっぱりそうじゃないだろう、と。サッカーだけでなく、他のスポーツもすべて、肉体をベースとした論理で繋がっている。第一自分は色々なスポーツが好きだ。なにより、きつい道程だが、ジャーナリストになれば、自分の可能性を広げることができる、そう考えたんです。サッカーに限定せず、将来的には、どんなスポーツも語れる司会者に、そんな目標を描いていましたね。

現在は母校・同志社大学でサッカーを教えられています

 今年から、サッカー部のテクニカルディレクターを務めます。久しぶりに母校の空気を吸って、グラウンドの土を踏みしめると、懐かしい気持ちになります。改めて、いい学生生活を送れた大学だった、と何か愛校心めいたものも実感しています。

テクニカルディレクターとはどんな仕事を

 基本的にはチームの技術的な部分を補佐します。ただ、状況を見ると、2部に落ちていますから、まずは、1部に戻す、というミッションが暗黙に化せられていますね。以前は、インターカレッジや総理大臣杯にいつも出場し、順位も常に関西で上から3番以内に位置していました。全国大会でも必ずベスト8までは、ということを、ずっと続けていましたから、それぐらいに戻すことを目標に、少しでも力になれれば、という気持ちでやっています。僕としても、こうして、若い選手と直に触れ合う機会は、あまりありませんから、新鮮な刺激や良いエネルギーをもらっていますね。

桐蔭横浜大学で客員教授として教えられています

 スポーツジャーナリストとして、その分野を細かく解説するのが、主な講義内容です。これから増えていくであろうスポーツ関連の仕事や、どういう風に、その道につくか、などにも触れますが、基本はやはりスポーツジャーナリズムについての話が多いですね。

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