八重樫 東さん(元プロボクサー・世界王者)
中学ではバスケット部に入部した。当時、全盛期――いわゆる黄金期を迎えていた『週刊少年ジャンプ』。その中でも、ひときわ異彩を放ったのがバスケットボールを主題にした青春漫画『スラムダンク』だ。列島を包んだ空前のバスケットブームに巻かれ、また少年もその世界に飛び込んだ。しかし、現実は過酷なものだ。漫画の主人公たちのように恵まれた体格も、図抜けた身体能力もない。それどころか、身長は小さく、運動神経も決して良い方ではない……、「自分には無理だ」少年の心にはすぐに諦めが宿った。この頃の自身を「自己評価が低かった」そう形容する。この性質はプレイにも影響し、決してリスクはとらず、目立とうとしない。箸にも棒にもかからない無難なプレイヤー……、今思えば団体競技は向いていなかった、と苦笑する。高校は黒沢尻工業高校に進学した。とりたてて目標があったわけではない。父も兄も工業高校の出身、なら俺も……、それだけのことだ。勉強は好きではないし、3年間工業高校に通ったら、近くの工場で働こう、教室の窓から見えるたくさんの工場の屋根を見下ろしてふと思う――。
拳闘との出会い
非日常のはじまりは唐突で、そして自然の成り行きだった。「ボクシング部に入ろう」中学時代のバスケ部仲間にそう誘われたのだ。黒沢尻工業は県下では知れたスポーツの名門校。ボクシングも例外ではなく、インターハイの常連だ。そんな校風に惹かれ、ボクシングをするためにここに来た、と友人は熱っぽく話した。ボクシングは個人競技だ。団体競技で埋もれたそれまでと違い、続けていれば試合にも出れるかもしれない……。勉強も得意で、信頼できる友人の熱心な誘いに、少年はまっすぐ首肯いた。
ボクシングは階級制のスポーツである。リングで向かい合う相手は、すべて自分と同じ、背丈、体格である。野球やバスケットで上背やパワーで圧をかけられ、挑戦する前に折れていた頃とはうってかわり、少年はコツコツと練習を積み重ねた。そして努力は実を結び、才能は開花の時を迎える。インターハイ優勝――。ただこれは、「才能の開花」という言葉だけでは正確ではない。ともに練習を積み上げ、技を研鑽した友人たち、彼らに引っ張り上げてもらったのが大きかった。「環境に恵まれました」そう言って懐かしそうに目を細める。ボクシングは、絶えず弱者が淘汰される厳しい競技だ。高校の部活道でも、年に5人から10人がやめていくのが通例である。そんな世界で、同期生たちは、誰一人かけることなく3年間を走りきった。中には学生生活で一度も勝利を手にできないものもいた。それでも、彼は腐らずグローブを磨き続けた。だからこそ「僕が才能があったとかじゃなくて、仲間にひっぱられたんだと思います」、という言葉は本音なのだろう。