八重樫 東さん(元プロボクサー・世界王者)
インターハイ優勝からしばらくして、少年のもとに大学のスカウトがやってきた。大学に行けばまだボクシングを続けられる。それに、まだサラリーマンにはなりたくないし――考えた末、選んだのは拓殖大学。入学金、学費、寮費、すべてが免除。これらなら親にも迷惑は……。遠く、東京の地で第2Rのゴングが聞こえていた。
せっかく入れてもらったんだ。卒業しなくちゃ意味がない――父の言葉を胸に、学業とボクシングの両立に打ち込む毎日。いまだ靄のかかる将来にビジョンが映りだしたのは、3年のとき。友人のツテで叩いたジムで、プロとのスパーリングに手応えを見つけた。もしかしたらボクシングで食べていけるかもしれない――。しかしこれには、カラクリもあり、アマチュアルールの3Rのスパーリングでは実力差が出難いという理由があった。それでも、様々の感情がパズルのように組み合わさって完成した青年の北極星は揺るぎない。両親の心配、反対をよそに粛々と準備を進めると、横浜の大橋ジムに意気揚々と飛び込んだのだった。
念願のプロデビュー、試合ごとに勝ち負けを繰り返しては、また減量、練習をひたすら積み重ねる。ストイックな日々にも、好きなことをしている、という充実感が満ちる。目標は常に目の前の試合に照準を――。自分は上を見すぎるのは合わない……小さい頃から折り重なる人生訓が下敷きにある。ファイトスタイルとは真逆の慎重さ――「でもこういう性格だから試合で本当の自分がでるのかもしれない」と視線を宙に滑らせた。
多くの試合を重ね、ベルトを得て、偉業を打ち立て、失い……そしていま八重樫さんは岐路にある。選手を続けるのか、それとも――。しかし、どんな道を歩むとも、それは夢の道なのだ。リングで培う多くを腕一杯に抱きしめて、その拳はまた力強く明日を掴んでゆく。
やえがし あきら 1983年、岩手県生まれ。2005年、拓殖大学卒業後、大橋ジムに入門し、同年プロデビュー。06年、プロ5戦目でOPBF東洋太平洋ミニマム級王座獲得。11年にWBA世界ミニマム級王座、13年にWBC世界フライ級王座、15年にIBF世界ライトフライ級王座を獲得し、世界三階級制覇を達成。プロ通算31戦25勝(13KO)6敗。
(月刊MORGENarchives2017)