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小野 正嗣さん(作家・第152回芥川賞受賞)

高校はどんな学生生活を

 地元の町に高校はありませんでした。もっとも、勉強にあまり注力しない分校はあったのですが、それなりに勉強はしていましたから、山を越え、他地区にある高校に通うことになりました。毎朝バスに乗り、山道を1時間と少し揺られると、ようやく学校の校門が見えてきます。1時間に一本の運行に気をつけて通った3年間、唯一の遅刻はバスが故障したときだけの一回きりでしたね。高校3年次になると、少し勉強に本腰を入れたいと思い、学校近くにある、中学時代の恩師のお兄さんのところに下宿させてもらうことにしました。

勉強に目覚められるきっかけは

 もともと勉強はそこそこできたんです。努力すると成果が上がるのが、まず楽しかったですね。それに、田舎の子ですから、夏目漱石の『三四朗』などに見られる、地方の成績優秀な子が中央に引き立てられるような、近代化の物語を信じていました。勉強の成績は悪くない、どうせならもう少し勉強して東京の大学に行きたい、そう思うようになっていました。後に研究するカリブ海の植民地の物語にもスカラーシップ(奨学生制度)が多く登場します。

東京に出てこられてからどんな方向を

 東京に来て最初に経験したのは、浪人です。同じように浪人を決めた、地元の友達は、多くが九州の大都市、福岡などでしたが、友人たちと一緒では、遊んでしまう、と上京を選んだんです。以前、出稼ぎで東京に来て、そのまま住み着いていた親戚の家に下宿し、初の大都会生活は幕を開けます。そうして次の年には、東京大学文科Ⅰ類(法学部)に合格し、晴れて大学生になったんですね。東京大学には3年からの進学先を選べる〈進振り制度〉というものがあります。僕の入学した文科Ⅰ類は、入学難易度の高さあり、大体自由に選べます。興味のある文化人類学や現代思想に目を奪われながら、さてどうしようかと考えます。色々、思案した結果、教養学部で比較文学をやろうと決めました。

文学との出会いは大学ですか

 そうです。中学・高校はひたすら野球に打ち込んでいました。それに、高校の行き帰りのバスは、デコボコの山道で、とても読めたものじゃありませんでしたから、読む時間や出会うタイミングがなかったんです。

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