「清々しき人々」アメリカの放送産業を開拓した デイヴィッド・サーノフ

無線通信時代の登場

 一九世紀の最後の一〇年間は無線について様々な発見が相次ぎ、電波で遠隔の場所と通信できる技術が開発されます。実用に貢献したのはイタリアのG・マルコーニで、一八九七年にマルコーニ無線電信会社、一九〇〇年にマルコーニ国際海上通信会社を設立、ヨーロッパを中心に無線通信サービスを提供します。そして一九〇一年にはカナダ東端からイギリス南西のコーンウォールまで大西洋上を横断する通信に成功しました。

 その結果、多数の船舶が無線通信設備を搭載し、洋上から陸地への通信だけではなく、船舶と船舶の通信も可能になりました。その重要な役割を社会が認識したのが豪華客船タイタニックの事故でした。新造された四万六〇〇〇トンのタイタニック(図1)は一九一二年四月一〇日にイギリスのサウサンプトンを出航、大西洋横断新記録を目標にニューヨークを目指しました。そして四月一四日の深夜に運命の海域に到達します。

図1 豪華客船タイタニック

 そのとき船員が前方に氷山を発見しますが、一帯は濃霧の発生しやすい場所で、発見したときには回避はできず衝突してしまいました。タイタニックは遭難信号を発信しますが、現場から二〇キロメートル付近にいた船舶の通信技師が就寝していたため救難信号を受信できず、それ以外の船舶は数百キロメートル遠方を航行しており到着に時間がかかり、一五〇〇名以上が犠牲となる海運史上有名な惨事になってしまいました。

 この事故現場での無線の交信をアメリカで受信していた人物がいました。マルコーニがニューヨークのマンハッタンの百貨店内に設置した無線通信施設の技師が遭難現場付近に接近していた客船オリンピックが発信した「客船タイタニックが氷山に衝突、沈没しつつあり」という信号を傍受したのです。この二二歳の若者は遭難現場付近で船舶が交信する無線通信の内容を傍受して全米に中継し一躍有名になりました。

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