「清々しき人々」人類史上最高の知能とされるジョン・フォン・ノイマン

原子爆弾の研究に参加

 ドイツと欧米諸国との関係はさらに悪化し、一九三九年九月にドイツがポーランドに侵攻を開始した結果、イギリスとフランスがドイツへ宣戦布告し、第二次世界大戦が勃発します。そのような時期に、ドイツが原子爆弾の開発に着手しているとの情報から、アメリカも対抗して原子爆弾を開発する「マンハッタン計画」を一九四二年に開始します。そこで化学工学を専攻した経験のあるノイマンは、この計画に参加します。

 原子爆弾の材料となるウランの精製工場はテネシー州オークリッジに建設され、爆弾の研究と製造はニューメキシコ州ロスアラモスの国立研究所で実施されることになります。ここでは理論について物理学者R・オッペンハイマーが指揮し、その配下にN・ボーア、H・ベーテ、E・フェルミ、R・ファインマンなどノーベル賞受賞者が勢揃いし、ノイマンも参加しました。さらに計算作業のため名門大学の学生も召集されました。

 この計画に使用する計算機械の能力に不満であったノイマンは砲弾の弾道計算をするためペンシルバニア大学が開発していたENIACという真空管式コンピュータの開発を応援します(図3)。しかし一万七〇〇〇本の真空管で構成される機械には弱点がありました。第一は大量の電力を消費することです。この装置を稼働すると大学周辺の家庭の電灯が薄暗くなるほどでした。これは後年、トランジスタの開発の要因になりました。

図3 ENIAC

 第二は特定の計算をするためには、それぞれに対応して機械の配線を変更する必要があったことです。実際、配線の変更には約一五分が必要でしたが、計算時間は三秒という状態でした。そこでノイマンは計算のための数値だけではなく、計算数式も最初から記憶させておくプログラム内蔵方式を提案し、一気にコンピュータの利用効率を向上させました。これは現在のほとんどのコンピュータに採用されている仕組みです。

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