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小野 正嗣さん(作家・第152回芥川賞受賞)

 後日、勤める大学に、あの日話を聞いてくれた全員の生徒から手紙が届きました。目を通すと、田舎は退屈で、鬱陶しいだけのものと思っていました。でもお話を聞いて、時間の経過や、視点の変化で、見え方と言うのは随分違うものなんだな、と感じました、という主旨の感想がいくつかあったんです。手紙を片手に頬杖をつくと、眼前に広がる海、町を取り囲むようにしてそびえる山々を越えて、どこか遠くへ、と夢想した、あの頃の自分に戻ったような錯覚を覚えました。山と海に閉じられたこの町の向こうに、どんな世界があるんだろう、田舎ならではの良さは感じながらも、やはりどこかで閉塞感が同居するんです。

当時、外の情報はあまり得られなかったのですか

 まったく無かったですね。小学校は一学年が十八人、木造の古い校舎は、隙間だらけで、風が吹くたび、海風に乗せ、様々な外気が教室内に漂います。美術の時間が来れば、みんな画板はどこへやら、釣竿を肩に海へ飛び出すんです。そういうことがまだ、受け入れられている時代でした。先日帰省した折に、級友がお祝いの会を開いてくれました。お世話になった恩師の先生方も呼び、30年来の再会に、交わす会話のひとつひとつにも懐かしさに胸が一杯になりますが、話すうち、ふと、あれっ、と気付きました。先生方はみな、あの学校で出会い、そのまま結婚していたんです。

 思えば、他の地域から通うことのできない僻地です。そういえば、先生たちは、町に用意された同じ宿舎から、日々通っていて、生徒たちの両親や、町の人びとは食べ物を差し入れたり、一緒に酒を飲んでいました。教師になり、最初の赴任だったそうですから、思い入れもあったことでしょう。来た当時は、方言の違いから言葉も分からなかった、懐かしそうにそう話す先生たち。今は、それぞれ大分の別の地域に住んでいますが、定年をまじかに控える今も、伴侶との出会いの場所にもなった特別な思い出の地のようでしたね。

外の世界を見てみたいとずっと思っていましたか

 思っていましたね。特に僕は次男でしたから。田舎で次男といえば、家にいても生活はできないので、外へ出る、というのが通例だったんですよ。田舎の人達は容赦なく、小さい僕に、「お前は次男だ、家屋敷は全部長男のものなんだからな」と口を揃えるんです。万事そんな具合です。いずれは出て行くんだ、そう思っていました。それに、自分自身、外の世界が見たいというのも当然ありました。

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