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大石 佳乃さん(報道写真家)

 報道写真家・大石佳乃さん――、戦争の被害者である子どもたちにファインダーを向けることで、その涙に戦争の悲惨さ、大人たちの作る世界の矛盾を訴えるが、ときに笑顔にもなる子どもたちの表情は、今そこにある世界そのものを顕しているのだと語る。3・11以降、目まぐるしく変わる日本社会の中で、いち早く福島に寄り添い、その現実をカメラに収める義人の十代とルーツを訊いた。

カメラを始められたきっかけは

 写真家を志す大きな動機となったのは、大学時代に行ったベトナムです。私が訪越した1966年当時、ベトナムは北爆により既に戦火の渦の只中でした。ベトナム人の反戦活動も盛んな中、漠然と日大芸術学部写真学科に在籍していた私は、その社会状況に強い衝撃を受けたんですね。特に印象的だったのは戦争の暗い影を象徴的に表情に湛えた子供たちでした。彼、彼女らの戦争に曇らされた鈍い瞳の輝きと向き合ううちに、私もただ漫然と写真を通して社会と繋がるだけに満足してはいけない、明確な社会意識を持つ写真家として生きていこう、と思うようになったんですね。

その後、沖縄返還問題にも大きな影響を

 そうですね。私が大学を卒業した1967年の翌年には大きな海上デモもありました。沖縄返還、日本復帰という巨大なテーマは、その時代を生きた私に少なからず影響を与えたと思います。

大学卒業と同時にフリーに女性の社会進出がまだ少なかった時代、これは大変なことだと

 当時は女性を雇う就職口が殆どなかったんですよ。人によっては仕方なく他の仕事をする傍ら、ライフワークとして写真を撮るような方も多かったと思います。でも私はどうしても直接的に写真を仕事にしたかった。師事した大学の教授も、「大石君、もうフリーになりなさい」なんて言うものですから(笑い)良く分からないままフリーになったんですけどね。もちろん現実は凄く大変でね。なにしろ男社会でしたから、一筋縄にはいきませんでした。成功する女性は本当にもう男勝りな人ばかりでね。女性には受難の時代でしたね。

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