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安部 龍太郎さん(小説家)

休学中には具体的にどのようなことを

 休学していろいろと模索していたときに出会ったのが、太宰治、坂口安吾といった戦後無頼派と呼ばれる作家たちの残した小説でした。彼らの残した近代の日本に対する違和感の中に、僕自身がその当時感じていた日本そのものへの違和感と共通するものがあると感じ、大変感銘を受けたんですね。同時に文学の持つ魅力や可能性に魅了され、作家になりたいと強く思うようになりました。それ以来、ずっと作家一筋で目指してきましたね。

理系から正反対の方向転換にご両親の反応は

 それはびっくりしたでしょうね。お前、機械工学をやっていたんじゃないのかっ! てね(笑い)でも僕は元来性格が頑固でしてね。自分で一度こうと決めたら、てこでも動かない、人の言うことを聞かない、というタイプだったんですよ。というのも、もちろん批判や反対があることも、その言い分も充分分かっていたんです。でも分かった上で決めたことなんだから動かしようがない、という理屈なんですよね。それに、当然ですが誠意と信念を持って説得しましたから信じてもらえた部分もあると思います。

リスクある一大決心に不安などは

 なにしろ当時は歳18、9。高専の安定したレールを捨てて自分の人生を切り開くと決めたわけですよ。全くといえるくらい人生を知らない時期ということも相まって、不安などの負の感情はどこ吹く風。「やってやるぞ!」という気合、気力がみなぎっていました。

それで一念発起し上京後、大田区区役所にお勤めに

 高専を出て作家になることを決めたものの、やはりそんなに甘いものではない、十年間の小説修行が必要だろうと思いました。それではその十年間をどう過ごせば作家になれるだろうとあれこれ思索をめぐらせたんですね。最初に考えたのはアルバイトと並行して修練を積むことでしたね。しかしこれは僕自身も自覚するところの意思の弱さが災いして日々の生活がうまくいかず挫折するだろうと断念しました。それで、どうせなら安定した職業について小説の勉強も同時にできる職業に就くべきだと考えたんですね。そしてそのためにはやはり役所に就職し図書館で働くべきだろうと決めました。

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