川内 優輝さん(埼玉県庁・市民ランナー)
川内優輝さんは市民ランナーである。あまり耳慣れないその肩書を確固たるものにしたのは2011年の東京マラソンでのことだ。市民ランナーとしては異例の2分10秒を切り、堂々、日本人トップの3位入賞を果たした。少年時代に走り始めたランナーへのロード、伸び悩みの苦しみを経てつかんだ、鮮烈な箱根の山の記憶とは――十代の地図を開いた。
マラソンを始められたきっかけは?
地元のスーパーに「ちびっこマラソン募集」 というポスターがあったんです。それを見た親が申し込んだのが始まりで。子どもの頃は、特に足が速かったとか運動神経が良かったということは全くなかったんです。ただ、僕の両親は父が元ボクシング選手で国体 に出場していたりと、凄く体育会系で、幼稚園の頃から僕をバディスポーッ幼稚園(幼稚園・スポーツクラブ・野外活動教室・スイミングクラブの4つの機能をもつ幼児教育機関)に入学させるほどに熱心でした。
それでは練習もハードでしたね
それはもう、毎日(笑い)。基本的には母が一緒に走ってくれたんですが、タ方になると車で練習所へ行きましたね。練習はいつも力いっぱいの全力疾走ですよ。それを小学校の6年間続けていました。当時、スポーツに力の入った幼稚園に入っている割には、体があまり強くなかった僕を慮って鍛えてくれていた、という事もあったかもしれませんね。この時の全力疾走という練習が、常に全力を出し切るという今の僕のスタイルのルーツになっていると思います。
練習がきつくて嫌になることは
雨の日は練習が休みなので喜んでいました(笑い)。でも練習すればそれだけタイムが伸びていくのが嬉しくて。高学年になると校内の持久走以外にも地方各地のちびつこマラソンに参加するようになったんです。いろんなところに旅行に行けるのが特に楽しみになり ましたね。