川内 優輝さん(埼玉県庁・市民ランナー)
中学時代もマラソンを
小学校の6年間、陸上をやっていたので、中学でも陸上部に入ろうと当然のように思っていました。小学校の時は漠然と練習していましたが、その中でも自分は特に「駅伝が楽しくて好き」と気付いたのは中学生になってからですね。それで、高校は駅伝の強い学校に行きたい、という思いが強くなって。県内でも有数の駅伝強豪校に入学したんです。
高校の時にはお父様を亡くされます
そうですね。怪我で精神的に不安定な時も父は本当に支えてくれたんですけど、突然亡くなってしまったんです。いろんな意味でとても苦しい時期でしたね。父も亡くなり、経済的にも母は大変だったと思います。でもそんな家族の支えもあり、なんとか進路も変更せずに前を向けたんです。
大学進学は箱根駅伝を目指して?
いやー、怪我を繰り返すうちに記録や勝利を目指す気持ちはめっきり減ってしまいました。どちらかといえば怪我がなく楽しく走れれば幸せだな、という気持ちが強くなったんです。それでエネルギーが余った分、勉強をより熱心にするようになりましたね。
勉強も沢山されたんですね
「陸上ばかり」なんて周囲に思われたくなかったですからね。それに現実的なところ、僕は個人の大会では県大会までしかいけていなかったんです。駅伝では関東まではいけていたんですけど。そういう意味ではとてもじゃないけども陸上一本で生きていける気がしな かったんです