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川内 優輝さん(埼玉県庁・市民ランナー)

卒業後はランナーを目指して

 半々でした。卒業後は昔からの夢でもあるんですが、楽しく日本各地の市民マーフソンを巡る旅、というのをやりたいと思う一方、・大学連合で様々なライバルと出会い、刺激されながら練習を続ける中で、このまま鍛錬を積めばもっと記録を伸ばせるんじゃないか、もっと上を目指せるんじゃないか、という気持ちも芽生えていましたね。相反する気持ちの整理は難しかったですが、とにかく辞めるという選択肢だけはなかったですよ。

そこから出した公務員という答えはどういう意図が?

 自分のスタイルを確立して、 一定の自信を得ていたので、社会人でも実業団でもやっていける気持はありました。しかし、大学4年の5月までに実業団からの勧誘がなかったため、その時期から始まる公務員の試験にシフトしたんです。実業団からの誘いがあればもちろんやってみたいという気持ちはありましたよ。大抵の場合、実業団からの勧誘は3年から4年になるころに行われるそうです。僕の場合は3年次に大きな失敗で目立つことが出来なかったのが痛かったのでしょうね。でも結果として今の僕があり、記録を残せてい る現在があるので、今の選択肢が正解だったと素直に思います。それに大学生の弟も二人いますし、生活基盤の安定も絶対でした。仮に実業団に入れていたとしても数年後には公務員などの資格試験をうけていたと思いますよ。

独力のみで突き進まれるのは、難しいことが多いのでは?

 去年の夏までは大学時代の監督にみてもらっていたんです。週2回のポイント練習を含めて全部を組んでもらっていたんですが、昨年の夏に体調を崩してからは全部自分でメニューを組むようになりました。それがまた楽しいんです。なにしろ、今までの陸上人生で出会い、師事した方々の教えを基礎、基本にしながら試行錯誤して組み立てる自分の陸上の集大成みたいなメニューですから。もちろん独りで大変という側面もありますが、 一緒に練習する仲間や支えになってくれる沢山の人たちがいてくれたり、団体に所属しているだけでは味わえない楽しさやメリットがあるんですよ。

市民ランナーとしてここまで注目されたことはどうお感じに

 実業団を辞められて市民ランナーをされている方など有力な市民ランナーの方は決して少なくないと思いますが、僕が注目されている理由はやはり2時間10 分を切ったことが全てだと思います。2時間13 分くらいまでのタイムなら今までもいたと思うんですけど、そこになかなか超えられない壁があるんです。僕にとってもその壁を突破することが最終目標だったんですね。今はなんと最終目標を達成してしまった状態で(笑い)。

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