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矢野 喬子さん(元全日本女子サッカー代表、サッカー指導者)

ご両親はどんな反応を

 父と母は、自分が思う通りにしなさい、と言ってくれて。そこで、無理にでも続けなさい、という風にされていたら、嫌で嫌で辞めていたかもしれないですけど、好きにさせてもらえたのが大きかったですね。

中学では念願の女子サッカー生活が始まります

 週に3回、木、土、日と、遠くのクラブチームに通いました。知り合いのいない土地で、最初は心細い思いもしましたが、だんだんと友達もできて。

その頃の目標は

 当時は、女子サッカーがメディアに取り上げられる事は殆どありませんでした。私もチームメートも、代表が誰々でどんな国際大会があって、というような話はまったく見た事も聞いた事もなくて。目の前の大会に参加して、このチームで勝ちたい、それだけが目標でした。その頃はまだ小さい頃からやってきた延長線上。サッカーを将来に繋げて行きたい、という気持ちはまったく頭にありませんでしたね。

サッカーでやっていけると感じたのはいつごろ

 大学の時に、なでしこ(サッカー日本女子代表の愛称)に選ばれたんです。そこではじめて、このままプロ選手になれたらいいな、と。もしプロになれなくても、必ずサッカーに関わる仕事に、そう思っていました。高校生の頃から自分のサッカーチームを持ちたい、指導者になりたいと夢を描くようになっていて。

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