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矢野 喬子さん(元全日本女子サッカー代表、サッカー指導者)

代表選出を聞いて心境は

 自分が選ばれるとはまったく思っていなかったのでびっくりしましたね。高校でも何度かアンダー18代表には選ばれたんですが、レギュラーにはなれなくて。自分には後一歩の壁がやぶれない、そう限界を感じていた所もあったので。私の描く代表選手像は、日々、それを目標に黙々と努力する選手で、自分とは正反対。私はどちらかというと朝練もいかない、みたいな(笑い)。もちろん練習はするんですが、あまり人前で見せたくないというか。

大学卒業後ついにプロに

 大学4年生の春に浦和レッドダイヤモンズ・レディースから声をかけてもらって。いくつか他にも誘いはありましたが、最初に声がけしてくれたのが大きかったですね。浦和は〈プロ選手〉待遇を考えていると言ってくれました。〈プロ〉と聞いて、そんな大それた、と両親は反対しました。私も同じ思いでしたが、プロとして責任を負う事で、より高みを目指すことができるかもしれない、チャレンジしたい、と決めて。

プロになりご自身変化は

 入社した当時、私を含めプロは4人。後は全員が、働きながらサッカーをしていました。4人は、ピッチに立てば当然結果が求められます。お手本となるプレイや姿勢も見せなければいけない。大学でも色んな代表選手を見てきましたが、プロはそのどれとも違う。もっと厳しくやらなければいけない、というのを強く感じました。練習も結果を残すために何をすべきかを考えて、午前中は体を動かす、個人的な課題に取り組む。午後はチームと連動した動きを高める。大学の時から考え始めた〈世界基準〉を念頭に真剣に取り組みました。

2011年W杯で優勝しなでしこブームが訪れます

 それまでメディアに取り上げられる事もなかった女子サッカーが、テレビ、新聞で見ない日がないほど過熱して。注目度が上がったおかげかサポート企業も増え、選手たちの待遇も少しずつ改善されました。今も全体の約8割の選手は、働きながらのプレーですが、午前中だけの勤務にしてもらったりと、色々考えてもらえるようになりました。

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