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窪塚 洋介さん(俳優)

役者になりたいと思ったのはいつ頃ですか?

 ずいぶん小さい頃ですね。きっかけは戦隊もののドラマを見てクかっこいいなあ14 と。憧れの俳優さんは別にいなかったんですけどね。でも高校生になって一番見たのは浅野忠信さんの映画でしたね。俺の場合役者になりたいと思ったからといって、他のチョイスが無くなってしまうわけではなく、ひとつお盆のなかにいつもいろいろな職業があって、それがシンプルに並んでいて、そのなかで自分は何者にもなれるんです。それが俺にとってごく自然な生き方んですよ。

大学進学は考えませんでしたか?

「大学へ行けば」と一言われたけど、もう高校1年のころから勉強はやらなくていいやと思ってピタッと止めてしまっていたし、それに高校からすでにいまの仕事をしていましたからね。学校に行きながら芝居とかやって、それで俺はこれでやって行けるだろうと思っていましたからね。学校や勉強はかなりいいかげんになっていて、追試験で零点とったりとかしていましたから。それで卒業は成績がぎりぎりセーフになって、最後に出席日数だけが問題になっていていたわけです。担任からは「これは奇跡でも起こらない限り卒業はさせてあげられないなー」といわれていて、俺も留年を覚悟していたんです。

 ところがビックリ、卒業証書がきたんですよ(笑)。で、早速次の日、俺先生のところへ行って、「なんで俺のところへ卒業証書きたんですか?」 って聞いたら「奇跡が起きたんじゃないのか」 ってニンマリ。俺は「このー、漫画みたいなこととしやがって」 って大喜びしたけど、いまにして思えば本当にだらしない高校生だったと思うよ。でも出会った先生もそれぞれいい先生だったしね。うちの両親は子どもたちに対しては理解があって、どんなことも自分が責任を持てるならそれでいいと言っていたから、楽といえば楽だったですね。逆に最近両親は俺に「シートベルトを締めろ」とかうるさいけどね(笑)。

反抗期はありましたか?

 露骨な反抗期はなかったですね。もちろん暴力もふるったことはなかったですから。うちの家庭はごく普通のどこにでもある日本のシンプルな典型だね。親父は地域にある大手自動車会社の会社員で、おかんは専業主婦で家にいて子ども三人のためにときどきはお菓子なんか作ったりしてね。家に帰ればいつもおかんがいて、どこにでもある普通の生活という感じでしたから。

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