「わたしのマンスリー日記」 第12回 林真理子理事長、辞めなくていいですよ!!――イチハラ・ハピネス

 しかし、そんな思いは大学の教員になって打ち壊されました。某年某月某日、ある会議の席でのことでした。某女性教授がいきなり立ち上がり、机をたたくなり男性教授に向かってこう叫びました。
 「私はあんたの女房じゃないんだからね!」
一瞬何が起こったのかと目を覚ましました。背景に何があったかは知りませんが、その前に男性教授が女性教授に何か失礼なことを漏らしたのでしょうね。この種の「事件」(?)は何度も経験しましたが、何といってもこれが最大のショックでした。もちろん人間関係はグシャグシャでした。
 民間の企業にお勤めの方には理解できないでしょうが、大学というところはこんな人間関係でも「やっていける」不思議な空間なのです。普通の企業ではそれぞれの企業目標・利益を達成するために協力して、努力するということになるのでしょうが、大学、ことに国立大学の場合は大学目標など無きに等しく、管理職者を除く一般教員は授業を中心とした個人プレーの集合体なのです。
 その結果、大学の教員の中には常識的に見て、「ちょっと変わってる」「少し変だ」と思える人が少なからずいることも事実です。私もその一人かもしれませんが(笑)。多くはコミュニケーション能力の欠如です。ある教授は人とまともに接することができないために、作成した入試問題を直接担当者に手渡さず、担当教授の研究室のドアの下に放り込むなんてこともありました。入試の作業は大学教員にとって最重要な業務の一つで、入試問題は直接手渡しすべきものです。これができないというのでは教授失格と言わざるを得ません。
そうかと思えば、普段は大人しいのですが酒が入ると相手を攻撃するといった若手の教授もいて、私も被害に遭ったことがあります。逆パワハラですね。
 このように書いてくると、思い出したくもないことが次々と頭をよぎります。学内のある組織の長をめぐる選挙に巻き込まれたこともあります。もともと私は組織の長になる意志など全くなく、全国の地名をめぐって本を書いていた方がよほど気軽で良かったのですが、大学のためにという大義名分のもとに立候補を余儀なくされ、最初の選挙は難なく当選。教員数170名に及ぶ大きな組織の長でした。この時生まれて初めて鬱(うつ)を経験しました。それまで自由に講演や地名調査で全国を飛び回っていた身だったのが、いきなり公務員として9時~5時の生活を強いられたのですからたまりません。天国から地獄に突き落とされた思いでした。
 ある晩単身赴任の宿舎で一人で寝ていた時、夢を見ました。寝ている自分の上に天井が激しく落ちてくる夢でした。”わぁーー!!助けてくれ――!”と叫んだ瞬間目が覚めました。妻に電話したらすぐ駆けつけてくれ、筑波山に車で連れて行ってくれました。信州生まれ信州育ちの私には山を見せることが一番の薬だと考えたからでした。というよりも、私がどうしても山を見たい! という衝動に駆られていたというのが正しいでしょう。
 「ケキョ、ケキョ、ケキョ……」
 筑波山の中腹に立った時、どこからか季節外れの鶯の鳴き声が聞こえました。その瞬間得も知れず涙が込み上げてきて頬を濡らしました。そして私の気持ちは霧が晴れるように落ち着いていったのです。
 こんな話をすると、息子たちは普通の人がやっていることができないオヤジの方がおかしいと揶揄するのですが、その通りかもしれません。

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