「わたしのマンスリー日記」第10回 風にそよぐカーテン――『ありがとうMama』

白井貴子さん
 『ありがとうMama』読了しました。読み終わって心に残ったのは言葉では言い尽くせない一種の「幸せ」感でした。月並みな「幸福」感ではなく、リアルで、一回しか体験できないけどずーっと心に浸みわたって残る、そんな「幸せ」感でした。
 そのことを白井さんは「悲しいだけの『さよなら』ではないんだ」と言い切っています。まさにその通りだと私も思います。私も20年前に母を送りました。郷里は長野県松本市で離れていて、介護は兄夫婦に任せきりで何もできなかったのですが、最期の日は共に過ごしました。それは「幸せ」なひと時でした。
 母は96歳で亡くなりましたので、天寿を全うしたと言っていいでしょう。自分を生み育ててくれた母、時には厳しくし叱ってくれた母、そんな母が大好きでした。大好きな母と別れるのは辛い。
 私は前著『夢はつながる(半角アキ)できることは必ずある!-ALSに勝つ!』(東京書籍、2022年)の冒頭で、五つの「命」について書きました。「宿命」「生命」「使命」「運命」「寿命」ですが、最後の「寿命」は命が尽きることを意味しています。この世の生きとし生ける全てのものに「寿命」がある。永遠に生き続けることはできない。誰もいつかX-Dayを迎える。それは人間に限らず、全ての生物に与えられた「宿命」なんですね。
 私は長野県松本市にある徳運寺という曹洞宗の寺院の次男坊として生まれ育ちました。葬儀は数十名の僧侶による荘厳なものでした。檀徒を始め関係者挙げてのお別れ会でしたが、それを私はただ受け入れるしかありませんでした。
 その時の思いを胸に思い浮かべながら、本を読ませてもらいました。共鳴した箇所、考えさせられた言葉についてコメントを添えました。お読みください。

〇25ページ
 わたしたちは毎日の生活を「ONタイム、OFFタイム」なんて言いますが、それは違う。
 両親の姿が一気に消えてしまってはじめて、「人生という命の舞台はいつもONだったんだ!」、「生きる」こと自体が強烈なリアルなんだ。

⇒ALSを宣告されて同じ思いで生きてきました。「人生という命の舞台はいつもONだったんだ」という言葉に深い共鳴を覚えました。4年半前呼吸不全で大学病院に担ぎ込まれた時、私は命のONとOFFの間をさまよっていました。あの時私は一度死んだのだと思います。死ぬということはこういうことなのだということを体験したことは事実です。
「生きる」こと自体が強烈なリアルなんだ。――これはまさに私の闘病から得た知恵そのものです。

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