「わたしのマンスリー日記」第10回 風にそよぐカーテン――『ありがとうMama』

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悲しみだけの「さよなら」ではないんだ。

⇒これは名言ですね。「悲しみ」だけの「さよなら」でないとしたら、他に何があるかと考えてみました。思い浮かんだのは「感謝」と「決意」の2つの言葉でした。
 幼い頃、母はよく冗談交じりに「五体満足に産んでもらってありがたく思え」と言っていました。私の強健な身体と精神は紛れもなく父と母から授かったものです。自分の命そのものが父母の愛しみの心から生まれたことを考えると、それだけで「ありがとうございました」と素直に思います。
 さらに母は「自分一人で育ったと思うな」とも言っていました。これは自分の命は両親を始め多くの人々によって育まれてきたことを示唆しています。それは「恩」だと思います。恩返しは何もできませんでしたが、次男坊として生まれた私が教育学者として一人前に活躍している姿を遠くから見て喜んでいてくれていたと信じています。
 両親が亡くなったことによって、さらに独り立ちして強い意志を持って生きなければという思いが募りました。それが「決意」です。父は50歳半ばに脳卒中で倒れ、それ以降半身不随の身でしたが、還暦を過ぎて驚異的な回復ぶりを見せ、徳運寺の伽藍の改修に取り組み、さらには曹洞宗大本山総持寺のトップを務め上げました。
 その姿を見ていて痛感したのは、人間60歳過ぎてからが勝負だなということでした。父はその背中で私たちに教えてくれたのですね。私が副学長として筑波大学を定年退職したのは63歳の時。それ以降憑かれたように地名本を出してきましたが、その意識の裏には父の姿がありました。

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「命よ輝け!」

新たなるゲートは
まだ見ぬこの星の楽園
競い合おう! 幸せ
命よ輝け!

⇒「競い合おう! 幸せ/命よ輝け!」――心の琴線にビーンと響きました。「競い合おう! 幸せ」なんてフレーズはそう簡単に出てくるものではない。さすがシンガーソングライター! 私は昔学校の運動会でやったパン食い競争を思い出しました。誰が1等になろうと2等になろうと、そんなことは問題ではない。大切なのは全員が一人も取りこぼすことなく、パン(幸せ)をゲットすることです。お互いに幸せを求める競争者でありたいと思いながらも、幸せって競い合うものなのかっていう思いも少し。
 「命よ輝け!」――難病と闘いながらも、少しは人々に生きる勇気と元気を届けるために輝きたい。

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 わたしは叔母のこの事態に遭遇するまで、「息を吸うこと、食べること、飲み込むこと、目を見開くこと、座る姿勢をとること」など、みんな当たり前の、ふつうのことだと思っていましたが、それは違う!
 それはすべてすばらしい「特技」で、どんな力も「けっして当たり前ではない」ことを知り、「生きる」ということはとても「優れた技能」で、「病気になる」ということは、ありとあらゆる技能を徐々に失ってゆくことなのかもしれないと気づきました。

⇒その通り。手足が動かないことは仕方ないことと思っていますが、意外に苦戦しているのがコミュニケーションです。人工呼吸器を付けているために発声ができません。私の部屋の天井や壁には「あ」「か」「さ」「た」「な」・・・「わ」の文字を記した紙が貼ってあります。まず私がある文字、例えば「た」に視線を向けます。対話者はその視線の向きを追って「た行」かどうか私に確認します。合っていれば私は瞬きをして、ようやく「た行」が確定します。
 次に対話者が「た」「ち」「つ」「て」「と」を読み上げます。私はそのタイミングに合わせて瞬きをして、例えば「と」が確定したことになります。この繰り返しでやっとの思いで「とうきょう」という音(おん)が相手に通じたことになり、さらに対話者が漢字変換をして「東京」というメッセージが届いたことになります。
 想像を絶する作業だと言っていいでしょう。私はこの方式を「文字盤」と呼んでいますが、正式には「ダブル・アイ・クロス・トーク」と言います。まだ全国的に広まっておらず、こなしているのは私を含めて数人しかいないと聞きました。

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