「わたしのマンスリー日記」第11回 帰郷――「われは山の子」

 10月21日(土)・22日(日)の2日間、念願の5年ぶりの信州松本への「帰郷」を果たしました。「帰郷を果たす」などと言うと、何と大げさなと思われるかもしれませんが、私の意識の中ではまさに「帰郷」であって、学生が夏休みに「帰省」するのとは次元の異なる旅でした。
 私の故郷(以下「ふるさと」と読んでください)は長野県松本市。その山合にある徳運寺という曹洞宗の寺院の次男として、1945(昭和20)年8月に私は生まれました。徳運寺は鎌倉時代末期に、鎌倉五山文学の一人で後に京都・建仁寺の住職を務めた雪村友梅(せっそんゆうばい)によって開基された寺院で、その伽藍は10年ほど前に国の有形登録文化財の指定を受けています。
 私が幼少期を過ごした頃は貧しい山寺というイメージでしたが、今は藤の寺と知られ、初夏の時期になると観光客も訪れるようです。私は次男ということもあって寺のことは全て兄に任せて教育学者の道を歩んできたわけですが、自身が曹洞宗の寺院で生まれ育ったことは片時も忘れたことはありません。

 私が生家の徳運寺を最後に訪れたのは2018年8月1日のことでした。その日は年1度のお施餓鬼の日でした。檀徒の皆さんが集まるので地元の地名の話をしてくれという兄からの依頼によるものでした。
 その年の2月に私は突如体調を崩し、次第に歩行が困難になり発声もできにくくなっていました。どこの病院に行っても原因がわからず、不安と恐怖のどん底にあった時期でした。その2週間ほど前の7月18日にはNHKの「日本人のお名前」のロケで、日本橋・銀座・両国・秋葉原を歩きましたが、猛暑の中立っているのがやっとといった状態でした。徳運寺での講演もやっとの思いで1時間を乗り切りました。それから5年の歳月が流れました。2019年5月にALS(筋萎縮性側索硬化症)と宣告され、それ以降手足は動かず、発声もできない日々が続いています。

関連記事一覧