「わたしのマンスリー日記」第13回 人は人を幸せにできる! きっと
「生きる」の選択
ALS宣告後、私はしばらく生死の間をさまよっていました。例えて言えば、北アルプスの急峻な尾根に立たされ一歩足を踏み外せば死の奈落に転落する——そんな思いでした。
生きるということはどう死ぬかということ、死ぬということはどう生きるかということ。私たちの年齢になると両者は表裏一体ですね。生きるか死ぬかの選択を迫られましたが、私は「生きる」を選択しました。理由は単純です。死ねなかったからです。
死ぬにはどんな方途があるか考えました。まず考えられるのは自殺・自死ですが、これは無理だとすぐ判断しました。家族に迷惑がかかるからとも考えましたが、それ以前に手足が動かない状態では物理的に不可能でした。次に考えたのは誰かに頼んで命を絶つ方法です。その年の暮れ近く、京都ALS患者の女性がSNSで知り合った医師に命を絶ってくれと頼み、実行するという事件が起こりました。「嘱託殺人」という言葉がこの世に存在することを初めて知りました。しかし、法を犯してまでして命を絶つというのは到底受け入れられるものではありませんでした。残されたのは事故死ですが、これは運を天に任せるしかありません。
死ぬことができないと悟った私は「生きるしかない」と腹を括りました。「どうする家康」ではありませんが、「どうする生き方」でした。まず考えたのは、前に向かって歩くこと、そして、何かをし続けることでした。では今の自分にできることは何か? そう考えてすぐ浮かんだのは本を書くことでした。「そうだ! 本を書くことならできる」との思いで入院中から書いたのが、『ALSを生きる いつでも夢を追いかけていた』(東京書籍、2020年)でした。当初はあと2冊は本を出したいと言っていたのですが、いつの間にか冊数が増え、今年1月に出した『東京「地理・地名・地図」の謎』(じっぴコンパクト新書)が6冊目、さらに3月には続編として7冊目に当たる『大阪「地理・地名・地図」の謎』(じっぴコンパクト新書)を出す予定です。
ALSの難病と闘いながらこれだけの本を出すことは並みのことではないかもしれません。時には驚異の目で見られることもあります。でも私に言わせれば「他にやること・できることがなかった」からに他なりません。これまで数年間1日も欠かさず、原稿のことだけを考えて生きてきました。今日は何を書こう、どう書こうと思いを巡らしている時間は私にとっては至福の時でした。
確かに難病と闘う日々は苦しく辛い。でも、手足は動かすこともできず発声もできなくとも、心・精神は自由でした。